2026年01月14日一覧

第3578話 2026/01/13

「秋田重季氏ら記念写真」の調査 (3)

 ―裏書きの「天内」「森」とは誰か―

 「秋田重季氏ら記念写真」(藤本光幸氏遺品)の裏側に書かれた男性の名前5名のうちの2名「綾小路」《男F》・「秋田重(季)」《男E》について、綾小路護子爵と秋田重季子爵であることを確認できました。そうすると他の3名「天内」《男A》・「森」《男B》・「和田長三(郎)」《男D》も正確な情報に基づく名前ではないかと考えました。そこで、最初に「天内」の調査をしました。

【写真の裏書き】※表の写真の配置とは左右が逆転している。
○後列 「森」《男B》・「天内」《男A》・「女」
○前列 「女」・「綾小路」《男F》・「秋田重(季)」《男E》・「女」・「和田長三(郎)」《男D》

 というのも、当写真が藤本光幸氏の遺品中にあったことから、光幸氏のお父上(光一氏)が藤崎町の旧家、天内(あまない)家から藤本家に養子として入ったとお聞きしていたので、その天内家の一人ではないかと考えたのです。そこで、秋田孝季集史研究会の会長、竹田侑子さん(藤本光幸氏の妹)に天内家の写真が遺っていないか調査して欲しいとお願いしました。残念ながら、天内家には古い写真が残っていないとのことでしたが、写真の「天内」は〝父親とよく似た顔だち〟とのことでした。しかし、写真が遺っていなければ比較検証できませんので、「天内」《男A》調査は暗礁に乗り上げました。

 次に取り組んだのが、「森」《男B》の調査。昨年9月27日、弘前市での『東日流外三郡誌の逆襲』出版記念講演会のおり、「明治大正時代に秋田子爵に会えるほどの有名な「森」さんを知りませんか」と、秋田孝季集史研究会の方々に尋ねました。しかし、有力な情報は得られませんでした。ところが、津軽での最終調査日(10月2日)に行った弘前市立図書館での古文書調査で、史料中に「森林助」という名前が散見していることに気づいたのです(注③)。(つづく)

(注)
①秋田重季(あきた しげすえ) 1886年(明治19年)~1958年(昭和33年)は、明治から昭和時代の技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員、秋田家第14代当主。旧名・重光。位階は従三位。1910年(明治43年)、東京帝国大学工科大学を卒業し、逓信省臨時発電水力調査局や鉄道院で技術者として働く。1919年(大正8年)に貴族院子爵議員に選出され、研究会(政治団体)に属して活動した。
②綾小路護(あやのこうじ まもる) 1892年(明治25年)~ 1973年(昭和48年)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。綾小路家19代当主。旧姓・野宮。位階は正四位。
③弘前市立図書館蔵「八木橋文庫」目録に次の記述がある。
北畠史料ノート(ロ) 森林助  YK091-3-5-2
大正4〜大正12(1915〜1923)写 1冊 半紙 仮和
註:「波岡御所史料」 北畠系図、波岡系図、波岡御所断片、弘前藩士浪岡氏、津軽郡中名字、金光上人伝、西光寺、他

〖写真の説明〗
秋田重季氏と綾小路護氏の比較写真(左が「記念写真」、右がWEB上の写真)。