2026年02月08日一覧

第3590話 2026/02/08

國枝浩「『夷狄』考」の衝撃 (1)

 ―孔子は東夷(倭国)を知っていたか―

 衝撃的な論稿に接しました。國枝浩さんの「『夷狄』考 ―『論語』と『史記』より―」です。『東京古田会ニュース』226号(2026年)冒頭に掲載された同稿の主張は、二倍年歴研究において中国古典(周代史書など)から得た、わたしの認識とは全く異なるものだったからでした。

 國枝さんの主張の論点と史料根拠は次のようです。
(a)『論語』には「夷狄」の語は見えるが、「東夷」「北狄」のように方角とは結びつけられていない。
(b)このことから、孔子の時代(周代春秋期・紀元前六世紀頃)の「夷狄」は周辺の未開の異民族と認識されるにとどまっている。
(c)「夷狄戎蛮」と方角(東西南北)が結びつけられるのは、司馬遷の『史記』やその影響を受けた後代の『論語』解説書による。
(d)従って、『論語』「公冶長」などを根拠として、孔子が東夷の国としての倭国(日本列島)の存在を知っていたとする古田説(注①)は『史記』(注②)に幻惑されたものであり成立しない。

 この國枝さんの主張は史料根拠や論理構造が明快であり、有力な仮説として成立していると思います。他方、論証の方法において不備があり、直ちに賛成できるものではありませんでした。それは次の理由からです。

(ⅰ)前漢代に成立した『史記』などに、「夷狄戎蛮」と方角(東西南北)が結びつける記事があるという史料事実は、前漢代の認識を示す史料根拠には使えても、〝周代にそうした認識はなかった〟とする根拠にはできない。
(ⅱ)孔子の認識を確認するためには、『論語』だけではなく、孔子と同時代(春秋期)か、せめてその直後(戦国期)の史料に基づくことが必要である。

 とは言え、國枝氏の論考は刺激的かつ有力です。そこで、わたし自身の認識を見直し、中国古典への理解を深めるためにも、周代史書と古田説の論理構造を再検討する必要を感じました。(つづく)

(注)
①古田武彦『邪馬一国への道標』講談社、一九七八年。ミネルヴァ書房より復刻。
②國枝氏は『史記』「五帝本紀第一」を挙げる。そこには次の記事が見える。
「都を中心とする五千里四方のはて、すなわち荒服の地にまでいたった。南は交阯・北発、西は戎・析枝・渠廋・氐羌、北は山戎・発・息慎、東は長・鳥夷を鎮撫し、四海のうちはみな帝舜の功業に浴した。」『史記』上、中国古典文学大系10、平凡社、1968年。