2026年02月12日一覧

第3592話 2026/02/12

國枝浩「『夷狄』考」の衝撃 (3)

 ―『春秋左氏伝』の「東海」「東夷」―

 國枝浩さんは「『夷狄』考 ―『論語』と『史記』より―」(注①)で、次のように論じています。

(a)『論語』には「夷狄」の語は見えるが、「東夷」「北狄」のように方角とは結びつけられていない。
(b)このことから、孔子の時代(周代春秋期・紀元前六世紀頃)の「夷狄」は周辺の未開の異民族と認識されるにとどまっている。
(c)「夷狄戎蛮」と方角(東西南北)が結びつけられるのは、司馬遷の『史記』やその影響を受けた後代の『論語』解説書による。
(d)従って、『論語』「公冶長」などを根拠として、孔子が東夷の国としての倭国(日本列島)の存在を知っていたとする古田説(注②)は『史記』に幻惑されたものであり成立しない。

 このうちの(a)については妥当な見解と思われますが、この『論語』の史料状況だけを根拠に、(b)~(d)が仮説としてただちに成立しうるとも思えません。そこで『論語』以外の周代史料を調べてみることにしました。幸い、周代の二倍年歴を研究したときに購入した『新釈漢文体系 春秋左氏伝』全四冊(注③)が書架にありましたので、あらためて精読しました。

 『春秋左氏伝』は孔子が制作した『春秋』を、孔子没後に左丘明が編纂した解釈書とされ、周代戦国期中葉の成立とする説が有力のようです(注④)。広く見ても、孔子の時代(周代春秋期)と秦代の間に成立したと考えて大過ないと思います。すなわち、司馬遷の『史記』よりも早い時代の成立です。
まず、『春秋左氏伝』では中国の周辺(東西南北)が、どのように認識されているかを調べてみました。その結果、次の記事が目にとまりました。

❶「卅一年、夏、齊候來獻戎捷、非禮也。凡諸侯有四夷之功、則獻于王。王以警于夷。」『春秋左氏伝 一』新釈漢文体系(以下同じ)、232頁
〔訳文〕齊候來たりて戎の捷を獻ずるは、禮に非(あら)ざるなり。凡そ諸侯、四夷の功有れば、則ち王に獻ず。王以て夷を警(いまし)む。
❷「賜我先君履、東至于海、西至于河、南至于穆陵、北至于無棣。」『春秋左氏伝 一』265~266頁
〔訳文〕我が先君に履(り)を賜ひ、東は海に至り、西は河に至り、南は穆陵に至り、北は無棣(むてい)に至る。
〔語釈〕穆陵:山東省臨胊県の南方の大峴山の上にある穆陵関。一説に楚地という。無棣:河北省無棣県。
❸「若出於東方、觀兵於東夷、循海而帰、其可也。」『春秋左氏伝 一』268頁
〔訳文〕若し東方に出(い)で、兵を東夷に觀(しめ)し、海に循ひて帰らば、其れ可ならん。
❹「六人叛楚卽東夷。」『春秋左氏伝 二』479頁
〔訳文〕六人、楚に叛(そむ)き東夷に卽(つ)く。
❺「秋、楚公子朱自東夷伐陳。」『春秋左氏伝 二』506頁
〔訳文〕秋、楚の公子朱、東夷より陳を伐(う)つ。
〔語釈〕東夷:もと陳の邑。後に楚の領地となる。陳・楚の東にあったので東夷と称したものという。
❻「蠻夷戎狄、不式王命。」『春秋左氏伝 二』701頁
〔訳文〕蠻夷戎狄、王命を式(もち)いず。

 これらの記事から次のことが判断できそうです。

(Ⅰ)❶の「四夷」という表現から、東西南北に「夷」と呼べる勢力があった。
(Ⅱ)❸❹❺に「東夷」という表記が見え、「夷」の中でも「東夷」が著名だったように思われる。ただし、その「東夷」は中国大陸内の「夷」であり、日本列島(倭国)を「東夷」とした明確な用例は『春秋左氏伝』には見えない。
(Ⅲ)中原から見て、四方の表記として❻「蠻夷戎狄」があるようだが、それぞれが南蛮・東夷・西戎・北狄と方角が限定されているようには見えない。
(Ⅳ)同じく、中原から見て、四方の領域名・地名として❷「東至于海、西至于河、南至于穆陵、北至于無棣。」が注目される。特に中国大陸の東側が「海」であると認識されていたことがわかる。
(Ⅴ)❸「若出於東方、觀兵於東夷、循海而帰、其可也。」とあり、「東方」の「東夷」への「觀兵」においては、「循海而帰」と海沿いに帰ることができるとしており、中国大陸の東が海であると認識していることを疑えない。

 今回、あらためて『春秋左氏伝』を読んでいて、「蠻夷戎狄」のうち、虫偏や獣偏の字が使用されている「蠻狄」、武器や軍事の意味を持つ「戎」とは異なり、「夷」は人名や動詞にも使用されており、それほど差別的な文字として認識されているようにも思えません。その為か、次のような記事もあります。

❼「廿七年、春、杞桓公來朝。用夷禮。」『春秋左氏伝 一』399頁
〔訳文〕廿七年、春、杞の桓公來朝す。夷の禮を用ふ。

 この記事によれば、「夷」には「禮」があったとされています。もちろん中華の「禮」とは異なっており、恐らくより低位の「禮」とされていたこととは思います。ここでは「東夷」とは書かれていませんから、中原内かその近辺の「夷」と思われますが、「蠻戎狄」と「夷」とでは漢字の用例や、記事中の扱いが明らかに異なるように感じました。(つづく)

(注)
①國枝浩「『夷狄』考 ―『論語』と『史記』より―」『東京古田会ニュース』226号、2026年。
②古田武彦『邪馬一国への道標』講談社、一九七八年。ミネルヴァ書房より復刻。
③新釈漢文体系『春秋左氏伝 一~四』明治書院、1971年。
④鎌田正「春秋左氏伝解題」『春秋左氏伝 一』明治書院、1971年。