2026年02月17日一覧

第3594話 2026/02/17

國枝浩「『夷狄』考」の衝撃 (4)

 ―『孟子』の東夷と西夷―

 『春秋左氏伝』の精読と併行して、より孔子の時代と成立が近い『孟子』を久しぶりに読んでいます。儒教の経典で、わたしが『論語』に次いで好きなのが『孟子』です。孟子(孟軻、前372~前290)は周代戦国期の人物で、孔子(前552~前479)の孫弟子くらいに当たります(注①)。その孟子の言葉や著述に基づいて、孟子没後(周代戦国期)に編纂されたものとされ、孔子の時代に近い人々の用語や認識を探ることができます。

 ちなみに、わたしが『論語』『孟子』を好きな理由ですが、その内容はもとより、わたしの名前「達也」の出典が『論語』顔淵第十二(注②)にあることを古田先生の著作(注③)で知ったこと、青年の頃『孟子』離婁篇にある「誠は天の道なり、誠は人の道なり。至誠にして動かされざる者は、未だこれ有らざるなり。」という言葉に惹かれたことによります。

 また、これも余談ですが、中小路俊逸先生(追手門学院大学文学部教授・故人)から、書名の『孟子』と人名の孟子を区別するため、『孟子』(もうじ)・孟子(もうし)と読み分けることを教えていただきました。学会や講義ではこのように発音で読み分け、聞く人が勘違いしないようにするためとのことでした。古代史学において、わたしは二人の善き恩師に恵まれました。

 『春秋左氏伝』を読んでいて、「蠻夷戎狄」のうち、虫偏や獣偏の字が使用されている「蠻狄」、武器や軍事の意味を持つ「戎」とは異なり、それほど差別的な文字として使用されているようにも思えませんでした。しかし、その理由がわかりませんでした。ところが『孟子』(注④)に次の記事があることに気づきました。

「孟子曰。舜生於諸馮。遷於負夏。卒於鳴條。東夷之人也。文王生於岐周。卒於畢郢。西夷之人也。地之相去也。千有餘里。世之相後也。千有餘歳。得志行乎中國。若合符節。先聖後聖其揆一也。」『孟子 上』離婁篇第四上、40~41頁
〔孟子曰わく「舜は諸馮(しょひょう)に生まれ、負夏(ふか)に遷(うつ)りて、鳴條(めいじょう)に卒(おわ)る、東の夷(えびす)の人なり。文王は岐周に生まれ、畢郢(ひつえい)に卒る。西の夷の人なり。地の相い去ることは千有餘里、世の相い後(おく)るるは千有餘歳なるも、志を得て中国に行えることは、符節(らりふ)を合わすがごとし。先聖も後聖も、その揆(みち)は一つなり。」〕

 大意は、東夷の舜(先聖)も西夷の文王(後聖)も、時代も土地も離れているが、二人の行いは全く一致している、というものです。ここでは東夷も西夷も聖人の地として使用されており、聖地の表現とは言えないまでも、それほど差別的な卑字として使用されているようにも思われません。むしろ、『春秋左氏伝』(注⑤)の〝夷の禮〟という記事の由来となった故事と理解すべきではないでしょうか。

「廿七年、春、杞桓公來朝。用夷禮。」『春秋左氏伝 一』399頁
〔訳文〕廿七年、春、杞の桓公來朝す。夷の禮を用ふ。

 したがって、東夷という用語の背景にはこうした故事があり、それを前提として孟子や孔子の言葉を理解する必要があります。なお、『孟子』離婁篇第四上に見える「千有餘里」は、周代の短里(一里約76メートル)ですから、東夷と西夷は中原の東と西の領域と解すべきであり、両地域はそれほど離れてはいないことになります。(つづく)

(注)
①ここでの孔子と孟子の生没年は通説による。周代史料には二倍年暦(1年(1才)を2年(2才)と数える暦法・年齢)が採用されているため、暦年補正が必要であり、実際の生没年は通説より数百年ほど新しくなる。次の拙論を参照されたい。
「孔子の二倍年暦」『古田史学会報』53号、2002年。
「新・古典批判 二倍年暦の世界」『新・古代学』第七集、新泉社、2004年。
「新・古典批判 続・二倍年暦の世界」『新・古代学』第八集、新泉社、2005年。
「A study on the long lives described in the classics」『Phoenix』No.1、国際人間観察学会、2007年。
「『論語』二倍年暦説の史料根拠」『古田史学会報』150号、2018年。
「二倍年暦と「二倍年齢」の歴史学 ―周代の百歳と漢代の五十歳―」『東京古田会ニュース』195号、2020年。
「『史記』の二倍年齢と司馬遷の認識」『古田史学会報』170号、2022年。
『二倍年暦』研究の思い出 ―古田先生の遺訓と遺命―」『古田史学会報』172号、2022年。
「周代の史料批判 ―「夏商周断代工程」の顛末―」『多元』171号、2022年。
②『論語』顔淵篇に「夫達也者。質直而好義。察言而観色。慮以下人。」〔『達』とは質直にして義を好み、言を察し、色を観(み)、慮(おもんばか)りて以て人に下るなり〕とある。
③古田武彦『邪馬一国への道標』(講談社、一九七八年)で『論語』顔淵篇を紹介し、『三国志』の著者陳寿を「質直にして義を好む」人物として次のように評した。
「あくまで真実をストレートにのべて虚飾を排し、正義を好む。そして人々の表面の“言葉”や表面の“現象”(色)の中から、深い内面の真実をくみとる。そして深い思慮をもち、高位を求めず、他に対してへりくだっている」

この古田氏の解説を読み、「達也」の出典が『論語』にあることを知った。以来、わたしは名に恥じぬよう、「質直」を人生の指針とした。陳寿のような立派な人物になれそうもないが、古田氏や陳寿を尊敬することはできる。こうして『邪馬一国への道標』は忘れ得ぬ一冊となった。
④中国古典選『孟子 上・下』金谷治、古川孝次郎監修、朝日新聞社、1978年。
⑤新釈漢文体系『春秋左氏伝 一~四』明治書院、1971年。


第3593話 2026/02/16

池田エライザ主演

『舟を編む ~私、辞書つくります~』

 久しぶりに池田エライザさん主演ドラマ、『舟を編む ~私、辞書つくります~』(録画)を見ました。辞書作りの現場(出版社)が舞台で、辞書編集・発刊の工程や難しさがわかり、とても勉強になったドラマです。池田エライザさんの演技や表情もよく、ファンになりました。

 主人公〝岸辺みどり(池田エライザ)〟は、出版社「玄武書房」の人気ファッション誌部門で活躍していましたが、女性読者の本離れが進み、雑誌は廃刊。そのため地味な辞書編集部へ異動になりますが、「言葉」や辞書『大渡海』作りの魅力にのめり込んでいくというストーリーです(三浦しをん氏の原作を2024年にテレビドラマ化。2025年、NHK地上波でも放送。原作の主人公は岸辺みどりではない)。

 わたしは書籍(論文集・共著)の編集出版には、この40年間で40冊ほど関わった経験があります(『市民の古代』『新・古代学』『古代に真実を求めて』『東日流外三郡誌の逆襲』他)。しかし流石に辞書編集を手掛けたことはありません。ただ30年ほど前に、「東日流外三郡誌」研究の過程で、辞書の誤りを見つけ、辞書出版社に訂正を提案したことがあります。その論文は「〝カメ(犬)〟は「外来語」か」(『北奥文化』18号、北奥文化研究会、1997年)です。
https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou47/koga471.html

 少なからぬ国語辞典や外来語辞典には、〝犬のことを「かめ」という地域がある。明治時代に来日した西洋人が、犬をcome hear (カムヒア・カメヤ)と呼ぶのを聞いた日本人が誤解して、犬のことをカメと言うようになった。〟と説明しています。

 しかし、この解説は誤りであり、江戸時代以前から日本では犬のことをカメとよぶ地域(主に東北地方)があることの分布資料と江戸期以前成立の史料を示し、もし英語の聞き間違いであれば長崎か横浜に分布中心があるはずだが、そうはなっていないと指摘した論文です。

 考えてもみて下さい。大昔から日本には犬(いぬ)や亀(かめ)がいて、そう呼び続けてきた日本人が、明治時代になって突然のように犬のことだけをカメと呼び換え、東北地方まで方言として伝わり、現代まで使われているという、辞書の説明がおかしいのです。冷静に考えれば、明治時代に来日した英語圏の西洋人は、犬だけではなく、猫や人にもcome hear (カムヒア・カメヤ)と呼びかけたはずです。ところがそれを聞いた日本人の誰かが、犬だけをカメと誤解し、その誤解が全国各地に伝わり採用されたなどという説明(語釈)自体がおかしいことは明らかです。はっきり言って、辞書に採用できるレベルの説明(語釈)ではありません。

 同論文のコピーを、誤った説明を掲載した辞書の出版社に送付し、改正を要請しました。角川書店、岩波書店、小学館、三省堂、新潮社です。ところが、わたしからの検討要請に対して、各社の対応は異なりました。(つづく)