『古田史学会報』192号の紹介
別役稿の〝四国の山神社分布〟に触れて
『古田史学会報』192号を紹介します。同号には拙稿〝唐詩に見える王朝交代後の列島 ―古田説と中小路説の衝突―〟と〝古田史学の会の運命と使命 ―令和八年(二〇二六)に向けて―〟を掲載して頂きました。
一面に掲載された別役さんの論稿〝現在の神社分布から古代を俯瞰することの危うさ ―山神問題に関して―〟は『古田史学会報』191号の拙稿〝蝦夷国の「山神社」考〟に対する御指摘と興味深い史料状況の報告で、実はわたし宛に送られてきた未発表論文でした。一読してその重要性に気づき、別役さんにお願いして『古田史学会報』に投稿していただいたものです(注①)。あわせて、わたしが主宰している「古田史学リモート勉強会(2月14日)」でも発表していただきました。
191号の拙論では、各県神社庁HPのリストを中心にWEBで検索した「山神社」分布が、山形県を筆頭として東北地方に濃密分布していることから、この山神信仰圏は古代蝦夷国に淵源するのではないかとの仮説を発表しました。もちろん、明治の神社統廃合などがあるため、現在の分布傾向が古代まで遡ると考えてよいものか熟慮しました。その上で、明らかに山神社が東北地方に濃密分布することから(津軽地方は「山神宮」として分布。江戸期史料による)、この現象を東北各県になぜか偶然にも多く遺ったとするよりも、何らかの歴史的背景があった結果と考えた方がよいと判断しました。
この基本的な判断は今も変わりませんが、別役稿により、四国地方にはWEBには掲載されていない「山神社」が濃密分布することを知り、驚きました。というのも、東北地方と四国地方には不思議な関係があることを知っていたからです。それは山(やま)のことを「森(モリ)」と称する例(山名)が両地方に濃密分布しており、これは古代縄文語(粛慎語あるいは蝦夷語か)に淵源するのではないかとする論稿を30年前に発表していたからです(注②)。この「モリ」分布と別役さんが紹介した四国地方の「山神社」分布とは関係があるのではないかと思ったのです。このテーマについては検討を続けます。別役さんのご指摘に感謝します。
(注)
①古賀達也「『言語考古学』の成立(序説) ―「山」と「森」について―」『古田史学会報』22号、1997年。
②別役氏は近時、『土佐史学』創刊に関わられ、同誌に論文を発表されている。
192号に掲載された論稿は次の通りです。
【『古田史学会報』192号の内容】
○現在の神社分布から古代を俯瞰することの危うさ ―山神問題に関して 高知市 別役政光
○七〇一年の王朝交代と朝鮮半島方式から中国方式への展開 茨木市 満田正賢
○唐書類の読み方 ―谷本茂氏の批評を受けて― 世田谷区 國枝 浩
○唐詩に見える王朝交代後の列島 ―古田説と中小路説の衝突― 京都市 古賀達也
○伊都国探求 松本市 鈴岡潤一
○令和八年(二〇二六)に向けて 古田史学の会・代表 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』への投稿募集
○編集後記 高松市 西村秀己
『古田史学会報』への投稿は、
❶字数制限(400字詰め原稿用紙15枚)に配慮し、
❷テーマを絞り込み簡潔に。
❸論文冒頭に何を論じるのかを記し、
❹史料根拠の明示、
❺古田説や有力先行説と自説との比較、
❻論証においては論理に飛躍がないようご留意下さい。
❼歴史情報紹介や話題提供、書評なども歓迎します。
読んで面白く、読者が勉強になるわかりやすい紙面作りにご協力下さい。
また、「古田史学の会」会則に銘記されている〝会の目的〟に相応しい内容であることも必須条件です。「会員相互の親睦をはかる」ことも目的の一つですので、これに反するような投稿は採用できませんのでご留意下さい。なお、これは会員間や古田説への学問的で真摯な批判・論争を否定するものでは全くありません。
《古田史学の会・会則》から抜粋
第二条 目的
本会は、旧来の一元通念を否定した古田武彦氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。
第四条 会員
会員は本会の目的に賛同し、会費を納入する。(後略)
〖写真の説明〗『古田史学会報』192号。別役さんと古賀、大阪にて。『土佐史学』創刊号。