鬼ノ城の列石と積石遺構
今回の鬼ノ城訪問と『鬼城山』(注①)の読書により、わたしの認識は大きく改まりました。そのことについて紹介します。
古代山城には朝鮮式山城と神籠石山城とに分けられることが多く、『日本書紀』などに記されているものを朝鮮式山城、文献に見えない山城を神籠石山城とする区別が一般的になりました。また、その特徴から、一段列石が山を取り囲むタイプを神籠石山城、積石で囲むタイプを朝鮮式山城とする場合もありました。近年ではより学術的な呼称として、『日本書紀』天智紀に見える山城を「天智期の古代山城」とする表記も目立ってきました。また、「○○神籠石」をやめて、「○○山城」というように、「山名・地名」+「城」という表記にすべきとする意見も出されています。例えば「阿志岐城」(筑紫野市)のように、旧称の「宮地岳古代山城」に替えて、「地名」+「城」に変更した例もあります(注②)。
文献に見えない場合は、この表記方法(「山名・地名」+「城」)がよいように思いますが、「鬼ノ城」(きのじょう)のような著名な通称もありますので、とりあえず「鬼ノ城」という表記をわたしは使用しています。他方、行政的な山名は「鬼城山」(きのじょうざん)とされており、遺跡名は「史跡鬼城山」と表記されています。
これまで、鬼ノ城は一段列石(神籠石タイプ)と積石(朝鮮式山城)の両者が混在したタイプとわたしは認識していたのですが、今回の訪問により、それほど単純なものではないことを知りました。鬼ノ城は一段列石であれ、積石であれ、その上部に版築土塁が築かれています。これらの防塁・防壁(高さ5~6m)により、鬼ノ城は強力な防御施設になっているのです。(つづく)
(注)
①『鬼城山 国指定史跡鬼城山環境整備事業報告』岡山県総社市文化振興財団、2011年。
②『阿志岐城跡 阿志岐城跡確認調査報告書(旧称 宮地岳古代山城跡) 筑紫野市文化財調査報告書第92集』筑紫野市教育委員会、2008年。