新幹線で気づいた「広島」地名の不思議
今日の午前中は「多元の会」のリモート勉強会(注)に参加し、午後には博多に向かう新幹線に乗り込みました。26日の久留米大学での講演のためです。現役の時は出張で週に何回も新幹線を利用したものですが、退職後は激減しました。ですから、久しぶりの新幹線利用ですが、広島駅まで来て、妙な疑問が脳裏に浮かびました。広島市は島でもないのになぜ「広島」と呼ばれているのだろう。そう言えば、徳島市も福島市も島ではない。なぜだろう。という疑問です。大昔は本当に島だったのかもしれませんが、位置的にそうとは思えない所もあります。たとえば次の「島」地名です。
鹿児島市(鹿児島県) 鹿島市(佐賀県) 渡嶋(北海道)
茨城県の鹿嶋市は海岸沿いですから、昔は島だったのかもしれませんが、佐賀県の鹿島市は島だったとは思えない地勢です。北海道の渡嶋(おしま)は渡嶋半島とも言われますが、やはり島ではありません。鹿児島市は、古くは桜島のことを鹿児島と呼んでいたとする説がweb上に見え、『和名抄』に薩摩国の郡名に「カコシマ」があり、これを桜島のことと解釈されているようです。しかし、「カコシマ」を桜島のことと断定できる史料根拠が示されておらず、まだ納得できずにいます。
ちなみに、冒頭の広島市についてweb上には、太田川の三角州が広々としていたので広島と呼んだとか、戦国武将の名前から広と島の一字ずつをとって広島にしたとか、あまり納得できそうにない説が並んでいます。
ここまで書いて、博多駅に着きましたので、京都に帰ったらよく調べてみます。ちなみに、博多の語源は言素論では、「は」+「潟」です。語幹は「は」ですが、これは「広い」という意味があるようですから、「広い潟」が「はかた」の由来ではないでしょうか。
(注)「古田史学の会」の友好団体、多元的古代研究会が毎週金曜日に開催されるリモート研究会。終了後、残った参加者の皆さんと会話していたところ、物部氏研究のため『先代旧事本紀』のリモート勉強会をしようという話しになりました。ぜひ実現させたいものです。
そうしたこともあり、博多駅前の紀伊國屋書店で篠川賢『物部氏の研究』(雄山閣、2009年)と宝賀寿男『物部氏 剣神奉斎の軍事大族』(青垣出版、2016年)の二冊を買いました。学風が対照的な著者の本ですから、読み比べが楽しみです。