蝦夷国領域「会津・高寺」への仏教伝来 (1)
『古田史学会報』173号で発表した拙稿「蝦夷国への仏教東流伝承 ―羽黒山「勝照四年」棟札の証言―」を読まれた菊地栄吾さん(古田史学の会・仙台)から、東北地方への仏教伝来を記した和田家文書紹介のメールが届きました。以下、メールを要約して転載します。
「古賀達也様
論文「蝦夷国への仏教東流伝承」拝見しました。これに関連する報告を、「和田家文書」研究会で小生の提案により、安彦さんが報告しております。
その概要は〝「和田家文書」コレクション「奥州隠史大要1」に「奥州佛法之事」に会津の「高寺」のことがあり、519年に最初の寺が造られていることが記されている。会津では「高寺山遺跡」が発掘されている。〟と言うものです。
コレクションもアクセスできます。羽黒山の事も記されておりますので参考にして下さい。
菊地栄吾」
こうした情報が会員や読者から毎日のように寄せられます。ありがたいことと感謝していますが、返信が遅れることも多々あり、申しわけありません。ご紹介いただいた「和田家文書」コレクションの「奥州佛法之事」を下記に転載します。七世紀の東北地方(蝦夷国領域)への複数の仏教伝来が記されており、興味深いものです。(つづく)
奥州佛法之事
欽明天皇元年、梁僧青巌、来奥州會津蜷川根岸邑、高寺建立。在佛弟子稱惠隆、梁惠志之師弟也。梁國號天監己亥年、高寺攺惠隆寺三十六坊也。
寛永六年九月一日 龍斉
奥州に佛法の傳来せるは、倭國より先代なり。梁僧・青巌坊が越州加志波浜に漂着し、人住多き會津に至り、持佛像薬師如来を草堂に安置し、日本將軍安倍國治に歸化を請ふて、高寺を建立せり。倭にては十二年後、百済の聖明王が阿弥陀佛を献ぜし前にして、梁國直通に渡れり。
安倍國治、荒覇吐王の南王たれば、是を入れたるも、吾が國に馴信なるは三十年後にして、惠隆坊が是を衆生に化渡を得たり。
此の時より、和賀の極樂寺、衣川の佛頂寺、閉伊の淨法寺及び西法寺、東日流の大光寺及び三世寺、中山大光院、秋田の日積寺及び山王寺、出羽の羽黒三山寺、相継ぎぬ。
倭僧圓仁や行基、葛城行者役小角来るは、此の古寺に求道せし故なると曰ふなり。
寛政六年八月五日 秋田孝季
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