第2903話 2022/12/30

蝦夷国領域「会津・高寺」への仏教伝来 (3)

「一つ不思議に思うのが、この伝承内容が九州王朝(倭国)時代のことであるにもかかわらず、そこに九州年号(継体元年・517年~大長九年・712年)が使用されていないことです。」と前話で述べたのには理由がありました。全国的な九州年号調査が古田学派研究者により続けられてきましたが、東北地方では福島県での九州年号史料の存在が際立っていました。管見でも次の九州年号史料と記事が知られています(注①)。

1.【喜楽(貴楽)】『會津舊事雑考(1672年)』福島県河沼郡会津坂下町 恵隆寺
「邑山上且有塚昔經納經蔵云或為 喜楽元年 欽明天皇十三年壬申」
2.【喜楽(貴楽)】『新編會津風土記(1806年)』福島県大沼郡会津高田町 伊佐須美神社
「欽明帝 喜樂元年壬申 此地に遷祭れりと云」
「年代記掛幅…其中に 喜樂、弥勒 なと云」
3.【喜楽(貴楽)】『伊佐須美神社編年史(1900年・明治33年)』「須美神社年代記(1520年?)」 福島県大沼郡会津高田町 伊佐須美神社
「欽明天皇 喜樂元年 御宇十三年壬申也此時未建年号 所伝当社之古年代記載此年号故随記」
「欽明天皇 喜樂元壬申 同郡天降高田邑給也」
4.【喜楽(貴楽)】『會津鑑(1781年)』「須美神社年代記(1520年?)」
「伊佐須美記曰欽明天皇御宇 喜樂元年 也」
「欽明天皇三十代元年或作 喜樂元年」
5.【喜楽(貴楽)】『會津四家合考』「須美神社年代記(1520年?)」
「欽明天皇 喜樂元年丙申」
6.【法清】『伊佐須美神社年代記(1520年?)』福島県大沼郡会津高田町 伊佐須美神社
「欽明天皇 法清元年 御宇十五年也随当宮古年代記」
7.【蔵和】『伊佐須美神社編年史(1900年・明治33年)』「伊佐須美神社年代記(1520年?)」 福島県大沼郡 伊佐須美神社
「欽明天皇 蔵和元年 御宇二十一年也随古年代記」
8.【勝照】「黒沼大明神縁起異本」 福島県福島市森会 信夫山 信夫山黒沼神社
「崇峻天皇ノ御時 勝照三年 石比賣皇后ヲ黒沼大明神トシテ祭ル」
9.【端正(端政)】『信達二郡村誌(1977年・明治10年)』「黒沼大明神縁起」 福島県福島市森合 信夫山
「崇峻天皇御時 端正二庚戌年 六月十五日黒沼大明神ト申」
10.【端正(端政)】『信夫山(1937年・昭和12年)』「羽黒神社縁起異本」 福島県福島市森合 信夫山
「崇峻天皇三年 端正 …羽黒山大権現ト申奉」
11.【端正(端政)】『信達二郡村誌(1977年・明治10年)』「黒沼大明神縁起」 福島県福島市森合 信夫山
「崇峻天皇御時 端正二庚戌年 六月十五日黒沼大明神ト申」
12.【端正(端政)】『信夫山(1937年・昭和12年)』「羽黒神社縁起異本」 福島県福島市森合 信夫山
「崇峻天皇三年 端正 …羽黒山大権現ト申奉」
13.【貴楽・僧用(僧要)】『伊佐須美神社編年史(1900年・明治33年)』「伊佐須美神社年代記」 福島県大沼郡会津高田町
「掛幅…大事ヲ記ス其中ニ 貴楽、僧用 ナトノ年号有リ」
14.【命長】『會津正統記(1688年)~』「本朝之大祖之巻」 福島県会津 「(役小角)七歳時 命長元年庚子 母寂時」
15.【白雉】『會津鑑(1781)』『會津正統記((1688年~)』「飯豊山開基緑起」 福島県耶麻都飯豊山
「孝徳天皇 白雉三年壬子 右神霊出現有」
16.【白雉】『會津正統記((1688年~)』「本朝之大祖」
「孝徳天皇 白雉三年壬子 小角十九歳」
17.【白雉】『會津正統記(1688年~)』「金塔山恵隆寺縁起」 福島県河沼郡会津坂下町 勝常寺
「斉明天皇 白雉九年戊午 性空上人弟子」
18.【白雉】『石都々古和気神社由緒記(1895年・明治28年写本)』福島県石川郡石川町
「孝徳帝 白雉年中 中臣鋼子…当社に詣」
19.【白鳳】『會津正統記(1688年~)』「赤城大明神縁起」「法光院地臓菩薩緑起」 福島県会津若松市
「行基親王天智御字 白鳳八年戊反 …誕生九歳時 白鳳一六年丙子 二月…則號行基興照菩薩 白鳳一八年戊寅 …都尊来行基親王申 白鳳十年庚午 御誕生」
20.【白鳳】『會津正統記(1688年~)』「龍造寺薬師如米緑起」 福鳥県河沼郡 龍造寺
「天武天皇 白鳳一四年甲戌 義円僧正白智鳳法師伝授法」
「白鳳一八年戊寅 天竺仏生国奥照菩薩」
21.【白鳳】『會津鑑(1781年)』「金光山薬師寺緑起」 福島県会津
「白鳳一八年寅 天竺国より興照菩薩来朝」
22.【大化】『全国神社名鑑(1977年)』「白和瀬神社社伝」 福島県福島市大笹生折戸
「大化元年 鳥帽子嶽に鎮座」
23.【大化】『棚倉沿革私考(1987年・明治30年)』福島県東白川郡柵倉町
「孝徳帝 大化二年丙午 国造を廃し」

一見してわかるように、会津地方に分布が集中しており、同地域で成立した地誌・縁起類(注②)が九州年号を採録しています。おそらく、九州年号が古代に実用されていたと編者たちは理解していたようですが、それが近畿天皇家以外の王朝によるものとの認識はうかがえません。
他方、同じ会津地方にある高寺(恵隆寺)の「創建伝承」記事(注③)には「欽明天皇即位元年庚申(540年)」とあるだけで、九州年号(僧聴五年に当たる)が使用されていない理由は不明です。後代の地誌・縁起編纂時において、九州年号が忌避され(注④)、意図的に削除されたとも考えにくく、不思議な史料情況です。(つづく)

(注)
①「古田史学の会」HP『新・古代学の扉』「九州年号総覧」による。
②『伊佐須美神社年代記(1520年?)』『會津舊事雑考(1672年)』『會津正統記(1688年~)』『會津鑑(1781年)』『新編會津風土記(1806年)』『会津温故拾要抄(1889年・明治22年)』『棚倉沿革私考(1987年・明治30年)』『伊佐須美神社編年史(1900年・明治33年)』。
③国会図書館デジタルコレクション『会津温故拾要抄 四、五』(454~455頁)に次の記事が見える。
「高寺恵隆寺千手観音縁起
一 茲ニ奥州大會津郡〔今、川沼ト云〕蜷河荘〔今、稲川ト云〕根岸村ト〔今、宇内ト云〕山ノ上草庵結〔昔、高寺、今、恵隆寺〕。人皇三十代欽明天皇即位元年庚申、唐梁國青岩ト云僧結庵。其頃日本ニテ寺ト云事ヲ不知、唯高處有故名高寺。自是百二十餘年過、人皇三十八代齊明天皇四年戊午、性空上人弟子蓮空上人、爰來、舊庵改大伽藍草創、號石塔山恵隆寺。本尊観音像(後略)」※〔 〕内は割注。句読点は古賀による。
④九州年号僧侶偽作説に立つ貝原益軒は、筑前の地誌や縁起から九州年号を意図的に削除したと思われる。『「九州年号」の研究』(ミネルヴァ書房、2012年)の拙稿「『九州年号』真偽論の系譜」を参照されたい。

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