第980話 2015/06/13

35年ぶりに『戦争論』を読む

 先日、京都駅新幹線ホーム内にある本屋で川村康之著『60分で名著快読 クラウゼヴィッツ「戦争論」』(日経ビジネス人文庫)が目にとまり、パラパラと立ち読みしたのですが内容が良いので購入し、出張の新幹線車内などで読んでいます。著者は防衛大学を卒業され自衛隊に任官、その後、同大学教授などを歴任され、昨年亡くなられたとのこと。日本クラウゼヴィッツ学会前会長とのことですので、どうりで『戦争論』をわかりやすく解説されているわけで、納得できました。
 クラウゼヴィッツの『戦争論』は古典的名著で、わたしも20代の頃、岩波文庫(全3冊)で読みましたが、当時のわたしの学力では表面的な理解しかできず、その難解な表現に苦しんだ記憶があります。集団的自衛権や安保法制、そして中国の海洋侵略やアメリカとイスラム国との戦争など、世界は大戦前夜のような時代に突入していますから、川村さんの解説に触発されて、書棚から35年前に読んだ『戦争論』を引っ張り出し、再読しています。
若い頃読んで重要と感じた部分には傍線を引いており、当時の自分が『戦争論』のどの部分に関心を示していたのかを知ることができます。傍線は主に「第一篇 戦争の本性について」「第二篇 戦争の理論について」「第三篇 戦略一般について」の部分に集中していることから、実践的な面よりも戦争理論や哲学性に興味をもって読んでいたようです。
 今回は「第六篇 防御」を読んでいます。その理由は、古代九州王朝における水城や大野城山城・神籠石山城がどの程度対唐戦争に効果的であったのかの参考になりそうだからです。というのも「第六篇」には「要塞」「防御陣地」「山地防御」「河川防御」といった章があり、防御側と攻撃側のそれぞれのメリット・デメリットが考察されており、九州王朝の防衛戦略を考察する上でとても参考になります。
 通常、攻撃よりも防御の方が戦術的には有利で、攻撃側は防御側の3倍の戦力が必要とされています。したがって、九州王朝は九州本土決戦で防御戦略を採用していれば唐に負けていなかったと思われます。もちろん「防御」ですから、戦力の極限行使による絶対的戦争の勝利は得られませんが、とりあえず国が滅亡することは避けられます。しかし、九州王朝は本土決戦防御ではなく、百済との同盟関係を重視し、朝鮮半島での地上戦と白村江海戦に突入し、壊滅的打撃を受け、倭王の薩夜麻は捕らえられてしまいます。現代の経営戦略理論でも同盟(アライアンス)は重視されますが、「行動は共にするが、運命は共にしない」というのが鉄則です。九州王朝は義理堅かったのか、百済が滅亡したら倭国への脅威が増すので、国家の存亡をかけて朝鮮半島で戦うしかないと判断したのかもしれません。この点、日露戦争や大東亜戦争の開戦動機との比較なども、今後の九州王朝研究のテーマの一つとなりそうです。
 他方、朝鮮半島で勝利をおさめた唐は賢明でした。倭国本土での絶対戦争ではなく、薩夜麻を生かして帰国させ、日本列島に「親唐政権」を樹立するという政治目的を自らの軍事力を直接的に行使することなく成功させました。やはり、軍事力でも戦争理論でも唐は九州王朝よりも一枚上手だったということでしょう。『戦争論』の再読が完了したら、これらのテーマについて深く考察したいと思います。

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