「春過ぎて夏来たるらし」の
〝季語(風物詩)〟
先日の「古田史学の会」関西例会で、大原さんの発表〝持統の「白妙の衣」は対馬の鰐浦の白い花のこと〟にて紹介された、『万葉集』28番歌の「~らし」の用法についての毛利正守氏の研究(注①)は特に勉強になりました。
春過ぎて夏来たるらし 白たえの衣ほしたり 天の香具山
毛利論文によれば、「春過ぎて夏来たるらし」の「らし」に続く言葉として、春が過ぎて夏が来たことを象徴する自然物でなければならず、『万葉集』に見える「~らし」の用法全14首において、28番歌を除く13首が自然物「梅の花、木末(こぬれ)、鶯、霞、なでしこの花、ひぐらし」であるのに対して、この28番歌だけが季節感に乏しい「白妙の衣」であり、特異な一首とされています。
こうした視点での史料批判が萬葉学の分野でなされていることを知り、わたしが25年前に発表した同歌の解釈「染色化学から見た万葉集 紫外線漂白と天の香具山」(注②)も、同様の問題意識に端を発していたことを改めて認識することができました。拙論では、同歌を初夏の風物詩となっていた「白妙の衣の紫外線漂白(晒し)」の歌としました。すなわち、「~らし」の用法に対応する初夏の風物詩(自然物ではないが、初夏のおとずれを表す古代の人々の営み)と理解するものです。当仮説は繊維加工の業界紙『月刊加工技術』(注③)にも掲載されましたので、転載します。
(注)
①毛利正守「持統天皇御製歌 巻一・二十八番歌をめぐって」『万葉』211号、萬葉学会、2012年。
②古賀達也「染色化学から見た万葉集 — 紫外線漂白と天の香具山」『古田史学会報』26号、1998年。
③同「古代のジャパンクオリティー2 万葉集の中の紫外線漂白」『月刊加工技術』6月号、2015年。
【転載】古代のジャパンクオリティー 2
万葉集の中の紫外線漂白
古賀達也(古田史学の会・編集長)
万葉集には天皇から庶民に至るまでの歌が約4500首以上も収録されている。しかもその歌の意味がわたしたち現代人にも理解できるというのだから、これはすごいという他ない。世界的に見ても、古代(8~9世紀)の言葉や歌が21世紀の国民にも理解できるというのは奇跡的であろう。これは日本列島では言語を異にする異民族による侵略支配という歴史がなかったことによる。周囲を海に囲まれ、交流が可能な程度に大陸とは適度に離れており、かつ国民性が穏やかで国土も豊かだったのである。
その万葉集に繊維漂白(晒し)の歌があることをご存知だろうか。たとえば次の歌だ。
多摩川に さらす手作りさらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき 武蔵の国の歌(3373番歌)
大意は、多摩川に晒す手作りの布がサラサラと美しく流れるように、なぜこの娘がこんなにかわいいのだろうか、というもの。川で麻布を晒す作業をしている乙女が何と可愛いことかと、男性が女性を想う歌と解されている。多摩川での晒し作業は、調布とか麻布という地名が今も残っているように、古代から盛んであった。
次の歌も有名だ。持統天皇(女帝、在位690~697年)が飛鳥の藤原宮で詠んだ歌とされる。
春過ぎて 夏きたるらし 白たえの 衣ほしたり 天の香具山 持統天皇(28番歌)
国文学界では「春が過ぎたら夏が来るのは当たり前、くどい」と酷評されることもある歌だ。しかし、繊維加工という視点から見ると、古代のジャパンクオリティーを読み込んだ名歌となる。なぜならこの歌は単に洗濯物を干している歌ではない。洗濯するのに季節は関係ないのに、わざわざ「春過ぎて 夏来るらし」と季節を限定しているのには理由があるはずだ。すなわち、その時季に行う紫外線漂白(晒し)の歌なのである。
紫外線エネルギーは色素を分解するため、染色された衣服にとって好ましくない。しかし、白い衣服であれば適切な量の紫外線により漂白効果が得られる。その適切な量の紫外線こそ、「春過ぎて夏来るらし」の頃の太陽光なのだ。夏の強烈な日射しでは強すぎるし、水分蒸発も早すぎて、紫外線エネルギーによるオゾン発生の前に衣は水分を失ってしまう。だから、この季節が最も紫外線漂白に適していることを古代の人々は経験的に知っていたのだ。
こうした科学的理解に立ったとき、先の万葉歌は古代人の知恵を読み込んだ、絶妙の歌として蘇る。なお、藤原宮からは香具山は遠すぎて、干した衣など見えないので、この歌は藤原宮で持統天皇が詠んだものではないとする説もある(古田武彦説)。