奈利田浮城『幻想の津軽中山古墳群』
再読 (2)
奈利田浮城著『古代探訪 幻想の津軽中山古墳群』には、津軽地方の次の「古墳」が紹介されています。
味噌ヶ盛古墳・糠塚盛古墳・飯塚山古墳・石塔山横穴古墳(役小角墳墓)・姥森古墳(女酋長の縦穴墓)・大滝の沢古墳・六本松古墳。
わたしが注目したのが、石塔山横穴古墳(役小角墳墓)です。その解説中に和田家が山中の洞窟から発見した遺物のことが記されています。それは次の記事です。
「筆者も残念ながら附近まで足を運んで未だ現場を確認しておらない。従って、発見者(昭和二十六年六月)和田元市氏の口述、それをメモした在地の諸先生方のご教示と。福士貞蔵先生の解釈。出土した仏像と佛具、さらには舎利壺、銅板銘文、木皮漆書をもとに心血を傾けて数年間にわたって解読と解明にあたられた飯詰の開米智鎧師の後世に残るであろう原文の直訳記録に依存し、私見を導入して綴り込むことの大胆無謀を重々寛容願いたい。(中略)
昭和二十六年頃か、発掘当時は異常な反響を巻き起し、中央地方を不問、数多くの学者専門家の諸先生方いろいろと調査研究なされての諸見解を発表されて百家争鳴の感がありましたが、現在はほとんど忘れられたものか、五所川原でさいも極く一部の人々以外は話題にものぼらぬのは残念なことです。」70~71頁
昭和26年に、山中で炭焼きを生業としていた和田父子(元市・喜八郎)が、自家の文書に基づいて発見した〝三身洞〟から出土した遺物(注)について記されており、「和田元市氏の口述」とあることから、当時は喜八郎氏よりも父親の元市氏の存在が重要であったことがわかります。このことは、和田家文書を喜八郎氏による偽作とする偽作説が、当時の状況を知る人の証言とは食い違っていることを示しています。その意味でも、『幻想の津軽中山古墳群』に記された奈利田氏の〝証言〟は貴重です。(つづく)
(注)当出土遺物の一部(舎利壺など)が福士貞蔵編著『飯詰村誌』(昭和二六年・1951年)に掲載されている。