第3339話 2024/09/01

石神遺跡出土の「天王」木簡

 飛鳥池遺跡北地区から出土した「天皇」木簡(注①)は有名ですが、石神遺跡から出土した「天王」木簡は、学界や古田学派でもほとんど注目されていないようですので、わたしが知る範囲で紹介します。

 石神遺跡は飛鳥寺の北西に位置し、その性格について市大樹さんは次のように説明しています(注②)。

 「石神遺跡では飛鳥時代の遺構が何層にもわたってみつかっている。大きくA~Cの三時期に分けられ、さらにそれぞれが細分化されるという複雑なものである。(中略)

 このB・C期の新たな建物群は藤原宮(六九四~七一〇)の官衙域の状況と似ており、饗宴施設から官衙へと性格を一変させたとみられる。そして、この見方を確固たるものとしたのが、石神遺跡北方域から出土した三〇〇〇点以上の木簡である。

 (中略)石神遺跡は王宮を構成する官衙の一部と理解するのが妥当である。」(市大樹『飛鳥の木簡 ―古代史の新たな解明』)89~91頁。

 この石神遺跡の七世紀中葉の遺構「道路SF2607」から「天王」木簡が出土しており、奈良国立文化財研究所HPの「木簡庫」には次の解説があります(当木簡の写真が添付されていないので、調査中です)。

【木簡番号】0
【本文】・□天于・天王
【寸法(mm)】縦 229、横 86、厚さ 12。
【出典】木研30-14頁-(6)(飛22-12下(6)) ※『飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報(22)』2008年。
【遺跡名】石神遺跡
【所在地】奈良県高市郡明日香村飛鳥
【調査主体】奈良文化財研究所都城発掘調査部
【発掘次数】145次(石神遺跡第19次)
【遺構番号】SF2607
【地区名】5AMDPL81
【内容分類】木製品
【木簡説明】呪符のような趣もある。

 また、『木簡研究』(注③)には、市さんが次のように紹介しています。

 〝(1)~(6)は七世紀中葉頃の木簡(6が「天王」木簡。古賀注)。(中略)(6)は大型材を用い、文字も巨大で、呪符のような趣もある。〟

 確かに「縦 229、横 86、厚さ 12(mm)」というサイズは大きめですし、書かれた文字が「□天于」「天王」だけですから、目的や意味が不明です。従って、「呪符のような趣もある」という感想的な説明に終わっていることも理解できます。また、「天王」はともかく、「□天于」の意味がよくわかりません。この木簡を拝見したいものです。

(注)
①この他にも「天王」と読める可能性のある木簡が藤原宮から出土している。「木簡庫」には次の解説がある。
【木簡番号】0
【本文】□□〔天王ヵ〕
【出典】飛21-24上(277) ※『飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報(21)』2007年。
【遺跡名】藤原宮朝堂院回廊東南隅
【所在地】奈良県橿原市高殿町
【調査主体】奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
【発掘次数】128
【遺構番号】SD9815
【地区名】5AJGEF70
②市大樹『飛鳥の木簡 ―古代史の新たな解明』中公新書、2012年。
③同上『木簡研究』第30号、2008年。

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