第3474話 2025/04/15

『古田史学会報』187号の紹介

 『古田史学会報』187号を紹介します。同号には拙稿〝『古今集』仮名序傍注の「文武天皇」〟を掲載して頂きました。同稿は、『古今集』仮名序に見える「ならの御時」傍注の「文武天皇」や、人麻呂の官位が正三位とあるのは九州王朝系史料に基づくとする仮説です。

 一面に掲載された谷本茂稿「九州王朝は「日本国」を名乗ったのか?」は、倭国(九州王朝)側が七世紀前半以前に「日本」と名乗った痕跡は無いとして、主に古田先生が晩年に発表した古田新説を批判し、むしろ旧説の方が論旨が一貫し、矛盾が少ないとしたものです。なかでも、同稿末尾に追記された【補注】は衝撃的な内容で、中国史書をはじめ漢籍に詳しい谷本さんならではの指摘だと感心しました。これこそ、古田先生が常々言っておられた〝「師の説にな、なづみそ」本居宣長のこの言葉は学問の金言です〟に相応しい論考ではないでしょうか。以下、当該部分を転載します。

 〝古田武彦氏は、『失われた九州王朝』の中で、『三国遺事』五に、新羅の真平王[在位579年~631年]の時代の用例として「日本兵」があり、当時「日本」という呼称が存在した確実な証拠であるとされた(ミネルヴァ書房版382頁~384頁)。融天師彗星歌の説明文を、「… 時に天師、歌を作り、之(これ)を歌う。『星恠(あや)しく、即ち滅す。日本兵、国に還り、反(かえ)りて福慶を成さん』と。大王歓喜す。…」と読み下している。『』の部分が歌の内容を直接表記したものとみなしたのである。

 しかし、この読み方は、遺憾ながら、古田氏の誤読である。原文では、この部分に続いて「歌曰」として、実際の歌の内容が引用してある。その中には「倭」という表記があるのであるから、こちらが当時の用語であることは明らかである。古田氏が読み下し文中で『』で示した部分は、歌の原文ではなく、『三国遺事』の著者・一然の地の文(解説文)であり、十三世紀の表現であるから、「日本」が現れるのは当然なのである。〟

 187号に掲載された論稿は次の通りです。

【『古田史学会報』187号の内容】
○九州王朝は「日本国」を名乗ったのか? 神戸市 谷本 茂
○戦中遣使と司馬仲達の称賛 渡邉義浩著『魏志倭人伝の謎を解く』について たつの市 日野智貴
○「科野大宮社」に残る「多元」 上田市 吉村八洲男
○「磐井の崩御」と「磐井王朝(九州王朝)」の継承(下) 川西市 正木 裕
○『古今集』仮名序傍注の「文武天皇」 京都市 古賀達也
○谷本茂氏、また多くの方との対話継続のために 世田谷区 國枝 浩
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○2025年度会費納入のお願い
○メールアドレス登録のお願い
○編集後記(6/22出版記念講演会・会員総会の案内) 高松市 西村秀己

『古田史学会報』への投稿は、
❶字数制限(400字詰め原稿用紙15枚)に配慮し、
❷テーマを絞り込み簡潔に。
❸論文冒頭に何を論じるのかを記し、
❹史料根拠の明示、
❺古田説や有力先行説と自説との比較、
❻論証においては論理に飛躍がないようご留意下さい。
❼歴史情報紹介や話題提供、書評なども歓迎します。
読んで面白く勉強になる紙面作りにご協力下さい。

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