東日流外三郡誌を学問のステージへ
―和田家文書研究序説―
本年5月末頃に刊行予定の『東日流外三郡誌の逆襲』の序文として書き下ろした「東日流外三郡誌を学問のステージへ ―和田家文書研究序説―」の最終節を紹介します。同書を世に出すに当たっての思いを綴ったものです。
【以下、転載】
五、文献史学のアプローチを
東日流外三郡誌をはじめとする和田家文書は、江戸時代の寛政年間を中心に編纂された伝承史料群である。そこに記された「史料事実」は江戸期における人々の歴史認識であって、それは「歴史事実」とは異なる別の概念だ。したがって和田家文書は、そこに記された歴史叙述がどの程度歴史の真実を伝えているのかを研究する、文献史学の研究対象なのである。
しかし、東日流外三郡誌は不運に見舞われた。理不尽な偽作キャンペーンの発生だ。偽作論者たちは、和田家文書に〝偽書〟のレッテルを貼り、文献史学の研究対象とする研究者に論難を加え、和田喜八郎氏による偽作とまで言い放ったのである。
そのような偽作キャンペーンに学問的反証を行い、和田家文書を真っ当な文献史学の研究対象の場に戻すべく、本書は上梓された。東日流外三郡誌と歴史の真実のみを求める。本書はこの学問精神に貫かれている。東日流外三郡誌の逆襲がここから始まるのである。〔令和六年(二〇二四)三月二十日、筆了〕
【写真】1994.5.7 石塔山神社にて。和田喜八郎氏・古田武彦氏・古賀。テレビ東京放送(昭和61年頃)の東日流外三郡誌調査風景。
参考