『古事記』序文の偽書説と古田説
『古事記』には江戸時代から偽書説がありましたが、編纂した太安萬侶の墓誌が出土したことにより、偽書説は影をひそめました。代わって出てきたのが序文偽書説です。この『古事記』序文(記序)の偽書説は有力な仮説とされ、今でも論争が続いています。記序偽書説の根拠は多岐にわたり、その全てを深く理解しているわけではありませんが、わたしには大和朝廷一元史観の枠内において成立しうるかもしれない仮説のように見えています。ちなみに、古田先生は一貫して真作説に立っておられ、少なくとも偽書説に賛成していませんでした。
古田先生の「古事記序文の成立 ―尚書正義の影響に関する考察―」(注①)では、記序が尚書正義の影響を色濃く受けており、『古事記』そのものにも同影響が見られるとされています。したがって記序が後代に偽作されたとする偽書説に与していないことは明らかです。具体的には、『古事記』の書名が『尚書』と同義であるとする、次の史料状況を指摘しています。当該部分を転載します。
〝(A)書名について(以下正義の引用頁数は東方文化研究所経学文学研究室「尚書正義定本第一」による。)
正義に於て「尚書」なる書名の解説・書の初まりを述べる冒頭の文に於て、
○自今本昔曰[古] (二頁)
○聖賢闡教。[事]顕於言。(一頁)
○書有言之[記] (一頁)
とある。(中略)
則ち尚書は「人君辭誥之典」(尚書正義序)であり、「是君口出言」(一頁)たる所に他の五経との違いがある。字義より言えば尚=本昔=上古=古であり、書=言之記であり、その「言」とは「事」の顕れたものを記したものとなしているのである。此処に於て少くとも結果的には古事記の字義は尚書の字義と一致しているとせねばならぬ、然も此尚書の字義説明の正義の文の直前にある義表と記序の交渉が確定している以上かくの如く尚書の定義が「古」「事」「記」の諸要案より説明してある正義の文は果たして偶然の一致と見るのが自然な解釈であろうか。〟『多元的古代の成立[下]』205~206頁
このように述べた後、更に記序に見える「序」や「誦習(しょうしゅう)」の字義についての考察が続きます。このように『古事記』の書名さえも尚書正義の影響を受けているとすれば、序文も本文も同一人物の編集と考えるのが自然であり、序文に記された太安萬侶による編纂とする理解が最有力となります。わたしはこの古田先生の理解を支持していますし、わたしの『古事記』序文の研究結果(注②)からも同様の理解に至りました。(つづく)
(注)
①古田武彦「古事記序文の成立 ―尚書正義の影響に関する考察―」『多元的古代の成立――[下] 邪馬壹国の展開』駸々堂出版、1983年。
②古賀達也「『古事記』序文の壬申大乱」『古代に真実を求めて』第九集。明石書店、2006年。