第3529話 2025/09/11

王朝交代時の九州年号「大化」の考察 (3)

 王朝交代時の九州年号「大化」の字義ですが、岩波の『日本書紀』頭注には次の二例をあげています。

❶大化は、広大な徳化の意。
❷尚書、大誥に「肆予大化誘我友邦君」。

 『日本書紀』孝徳紀の大化(645~649)は一元史観を前提としていますから、孝徳天皇自らの意志や業績を讃えるという❶の「広大な徳化の意」という解釈でよいのですが、九州王朝説による九州年号「大化(695~703)」の場合は、❶の解釈では今ひとつピントが外れているように思います。そこで注目したのが、❷の『尚書』大誥に見える「肆予大化誘我友邦君」という出典記事です。

 『尚書』の大誥とは、周公が東征の前に発表した訓戒文とされ、天子や王の命令を下すための文書であり、官吏や臣民に対して戒めや訓戒を伝えるために使用されたとのこと。したがって大誥は古代中国の王の意志を反映した重要な文献とされています。もし、九州年号「大化」が『尚書』の大誥からとられたとすれば、それは何を意味しているのでしょうか。

 『尚書』大誥に見える「肆予大化誘我友邦君」は〝肆(ゆゑ)に予(われ)大いに我が友邦の君(くん)を化誘す。〟と読めますから、その意味は「ゆえに余は大いにわが友邦諸国の君主たちを教え導くのである」となり、九州王朝の天子が友邦諸国の君主たちに発した訓戒とする理解が成立します。七世紀末の九州王朝にとって最大の友邦とは近畿天皇家であり、後の日本国です。あるいは更に東の大国、蝦夷国も含まれるかもしれません。そうであれば、近畿の持統天皇や蝦夷国の王に対する〝大いなる化誘〟という意味を込めて「大化」という年号に改元したとする仮説が提起できます。

 もちろん「大化」という用語の出典は『尚書』以外にもありますから、他の仮説も成立しそうですが、周公が東征の前に発表したとされる大誥が出典であれば、九州王朝の西都太宰府から、東の有力諸国、藤原宮の持統天皇や蝦夷国の王へ訓戒・化誘するにあたり、年号としての「大化」改元は相応しいよう思いますがいかがでしょうか。しかしながら、訓戒・化誘の意味を込めた「大化」改元後に王朝交代となったのですから、歴史の皮肉と言えるかも知れませんね。(おわり)

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