津軽の政治家の皆さんとの一夕
―興国の大津波は歴史事実―
昨晩は弘前市議・青森県議の有志(超党派)の皆さんに、「東日流外三郡誌」に記された興国の大津波が歴史事実であることを証明した地質学論文、箕浦幸治・中谷 周「津軽十三湖及び周辺湖沼の成り立ち」『地質学論集』第36号(1990年)について説明し、「十三湖水戸口に周辺での試錐調査からは、この時期巨大津波の襲来によるものと思われる海岸環境の劇的な改変が示唆される。」「この時期に巨大津波を伴う地震が青森県西方沖で発生したものと判断する」と結論した文部科学省地震調査委員会による次の報告書を紹介しました。
「1341年10月31日 (1341年は興国二年。興国は南朝の年号:古賀注)
『東日流(つがる)外三郡誌』によれば、朝地震とともに約9mの津波が津軽半島の十三湊を襲い26,000名が溺死したとある。(渡辺、1985)。同歴史文書の信憑性について疑問視する人もおり、第二版の渡邉(1998)からは同地震の記述が削除されている。
然るに、十三湖水戸口に周辺での試錐調査からは、この時期巨大津波の襲来によるものと思われる海岸環境の劇的な改変が示唆される(箕輪・中谷、1990)。
本報告では、これらに中嶋・金井(1995)によるタービダイト(海底堆積物:古賀注)の解析結果も加えて比較検討し、歴史記録からは信憑性に欠けるものの、この時期に巨大津波を伴う地震が青森県西方沖で発生したものと判断する。」『日本海東縁部の地震活動の長期評価』『日本海東縁部の地震活動の長期評価』文部科学省地震調査研究推進本部 地震調査委員会、2003年。
そして最後に、「歴史地震学、文献史学、地質学のそれぞれの研究者がそれぞれの理由に基づいて、興国の大津波を歴史事実とする判断に至っています。貴重な現地伝承を無視することなく、数百年に一度の大地震や大津波に、政治の力で備えていただきたい。津軽の先人が伝えた興国の大津波伝承を現代を生きる津軽の人々に知らせていただきたい。」と訴え、話を締めくくりました。
その後も参加者から請われて、わたしの専門分野の化学にまで話題は広がり(PET樹脂〔ポリエチレンテレフタレート〕リサイクルにおける再生エネルギー効率について・白色LED光成分による活性酸素発生メカニズムの人体への影響について・福島原発爆発時の原研OBから聞いた逸話・他)、議員の皆さんとの宴は夜の10時過ぎまで続きました。それは、青森県の若い政治家の皆さんとの、とても楽しく有意義な一夕でした。素敵な出会いの場を作っていただいた石岡千鶴子さん(弘前市議、秋田孝季集史研究会・副会長)に深く感謝します。