ウィキペディアの椿事
先日、退院しました。入院中はベッドの上で時間を持て余していましたので、スマホで古田史学や「古田史学の会」がWeb上でどのように扱われているのかエゴサーチしていると、なんとわたしのことがWikipediaに掲載されていることを知り、驚きました。参考文献に『東日流外三郡誌の逆襲』(八幡書店)が挙げられていることから、本年八月以降に編集掲載されたようです。
わたしのことを短文で紹介したものですが、いくつかの事実誤認(注)はありますが、他者から見ればこのように紹介されるのかと、概ね納得しました。本文部分を転載します。詳細はWikipediaをご覧下さい。
【以下転載】
古賀達也
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古賀達也(こがたつや)は、日本の繊維学ケミスト・思想史研究家・古代史研究家。古田史学の会代表、繊維応用技術研究会理事。繊維学会会員、繊維機械学会会員、日本思想史学会会員。
概要
1955年福岡県久留米市に生まれる。久留米工業高等専門学校を卒業後、山田化学工業に入社。理系の研究者として活動していたが、1985年に古田武彦に師事し市民の古代研究会に入会。市民の古代研究会が東日流外三郡誌の真偽論争をめぐって分裂すると古田への支持を表明し、ジャーナリストの斉藤光政からは「古田の秘書のような青年」と評されるなど、古田の後継者と目されるようになる。1994年古田史学の会の事務局長に就任、2015年には古田史学の会の代表になった。
山田化学労働組合では委員長を務め、古田から依頼された研究を果たせない時期もあったと言う。管理職になった後も自社の労働組合の組合員に「『労働力の再生産』などどうでもよいとする経営者であれば、労働組合はそのとき『赤旗』ではなく、『日の丸』を掲げて戦うべき」と述べるなど、労働運動に好意的な立場を示している。
脚注(略)
(注)わたしを「繊維学ケミスト」と紹介するが、正確には「染料・染色化学のケミスト」。繊維機械学会で講演したことはあるが、同会の会員であったことはない。他。
〖写真説明〗山田化学労組10周年記念誌。発刊の辞。1977春闘のデモ風景(先頭中央がわたし)。10周年記念誌編集委員会メンバー、後列右端がわたし。