「秋田重季氏ら記念写真」の調査 (7)
―撮影時期は大正十年頃か―
「秋田重季氏ら記念写真」(藤本光幸氏遺品)に、並んで写っている六名の男性の内、五名の素性を確認できました。次の通りです。
[後列]
❶天内兼太郎(1885~1985) 弘前中学教師 《男A》「天内」
❷森 林助 (1880~1935) 弘前中学教師 《男B》「森」
❸菊池 巍 (1876~1934) 弘前中学教師 《男C》不記載
[前列]
❹未 詳 《男D》「和田長三(郎)」
❺秋田重季 (1886~1958) 貴族院子爵議員《男E》「秋田重(季)」
❻綾小路護 (1892~1973) 貴族院子爵議員《男F》「綾小路」
後列の男性三名が弘前中学の教師であることから、この写真が撮られた時期を推定することがてきます。それは天内兼太郎氏の経歴によります。天内氏は長い軍歴(陸軍)の後、大正九年十一月に弘前中学の教師に着任します。従って、同写真の撮影時期は大正十年頃以降で、菊池巍氏が没した昭和九年以前と考えられます。
この当時、秋田重季氏は貴族院子爵議員で、遅れて綾小路護氏も子爵議員となり、ともに「研究会」という政治団体に所属しています。また、宮中の「歌会」にも二人は参加しており、仲が良かったのではないでしょうか。しかも、二人とも他家から養子として秋田家・綾小路家に入り、先代の物故により当主(子爵)を継いでいます。
両氏が子爵・議員になった年次は次の通りです。
○秋田重季 明治四十年に子爵を継ぐ。大正八年に議員となる。
○綾小路護 大正十年四月に子爵を継ぐ。同十四年に議員となる。
このように大正十年頃は両者にとっておめでたいことが続き、それを祝って、秋田家の始祖の地である津軽を訪れたのではないでしょうか。そのときの記念写真が、本シリーズで取り上げた一枚の写真と思われます。(つづく)