第3589話 2026/02/05

『東日流外三郡誌の挑戦』の読後感

 『東京古田会ニュース』226号には拙稿「運命と使命の一書 ―東日流外三郡誌の逆襲―」に続いて、「一読者」による「『東日流外三郡誌の逆襲』読後感想文」が掲載されていました。これは『古田史学会報』191号掲載の池上洋史さんによる「『東日流外三郡誌の逆襲』の感想」に続いての書評で、どちらも好意的な言葉にあふれ、著者としては有り難く、続編執筆への励みとなりました。それは次のような感想です。

 「古賀さんが書かれた論文はほとんどすべて目にしていましたが、こうしてまとめて読んでみると、いかに長い歳月にわたって、地道で詳細な調査研究をされ、偽作キャンペーンに怒り、闘ってこられたかが改めてわかりました。」 (池上洋史さん)

 「古賀さんの偽書派に対する様々な論文を読んで偽書説の中味、そのやり口、裁判のこと、その後の和田家の人々がどうなったか良くわかりました。本当に腹が立ちました。偽書説を唱える人たちの無責任さ、想像力のなさ。」 (一読者さん)

 お二人の書評にあるように、同書収録論文には三十年前の偽作キャンペーンとの激しい論争の最中に書かれたものがあり、今回の出版にあたり、その表現を穏便なものに改訂することも考えました。というのも、掲載稿の初校ゲラを娘(小百合)に添削してもらったところ、感情が出過ぎており、学術論文らしく表現を抑えてはどうかとの助言があったからです。娘は同志社大学で現代メディア論などを専攻していたこともあり、もっともな意見と思いましたが、当時の激情も含めて、その〝熱〟を後世に伝えたいと述べ、序文「東日流外三郡誌を学問のステージへ ―和田家文書研究序説―」の掉尾を次のように改めることにしました。この文体は娘の指導によるものです。

 「掲載しているわたしの論文の中には、まさに偽作論との闘いの最も激しかった頃に執筆したものも含まれる。強硬な言葉や、度の過ぎた反撃の意思が見える表現も残るが、史料に対して不誠実な研究はしてこなかった自負があるため、残した。そして何より、あの時代のおぞましい弾圧を、そして正直に語れば我々の身を焼いた怒りを、時を超えて本書に残さねばならないとも思っている。ここまで戦ってきた同志に、そしてこれから先の未来で歴史研究の歩みの中で本書に出会った人に、この三十年の思いが熱を失わぬまま届けば、きっとその先に研究の道は続いていくと信じている。
しかし、わたしたちはこの炎をもって、何者かを焼くことを目的とはしないことをはっきりとここに宣言する。東日流外三郡誌とそこに記された真実のみを求める。本書は、この学問精神に貫かれている。東日流外三郡誌の逆襲が、本書から始まるのである。」『東日流外三郡誌の逆襲』15頁

 最後にわたし自身の読後感ですが、自らの三十代の〝若さ〟と〝情熱〟に触れ、七十歳の今のわたしには到底書けないと思いました。人生の「最新」章を迎え、あの頃の〝若さ〟と〝情熱〟を思い起こし、読者の心に響くような論文を書き、そして古田武彦先生から託された未踏の分野の研究に挑みたいと、決意を新たにしました。

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