第3603話 2026/03/11

「秋田重季氏ら記念写真」の調査 (15)

 ―菊池哲子さんとの共同研究―

 「秋田重季氏ら記念写真」(藤本光幸氏遺品)左上円内の人物について、新たな候補写案が菊池哲子さん(福岡県久留米市)から菊池武徳ではないかとする次の調査報告が届きました。一部要約して転載します。

【菊池哲子さんからのメール】
写真円内の人物は菊池武徳ではないか。1867年(慶応3年)~ 1946年(昭和21年)。他の人たちより少し年配です。津軽藩士の生まれで、慶応義塾の流れを汲む東奥義塾で学び、慶応義塾を明治20年に卒業。在学中から朝野新聞の記者でも活躍。卒後、福沢諭吉の時事新報に勤め、民権活動で東京追放されたあと、門司新報に勤め、のちに朝野新聞の経営もします。そこで、政治や実業の方に変更し、門司や青森を地盤に衆議院議員になってジャーナリスト・政治家としても活躍し、慶応の評議員にもなりました。

 写真の人物は菊池九郎というより、菊池武徳かと思われます。眉から鼻にかけて似ており、眼鏡もかけている。

 綾小路護、秋田重季の二人の縁も門司だとわかりました。この2人をつなぐのは「十五銀行」と貴族院内の政党組織「研究会」です。当時官営八幡製鉄ができ、門司に国際貿易港が必要となり、資金需要が起き、貴族の銀行と言われた「十五銀行」は門司築港会社に出資。秋田子爵家は同銀行の預金者・株主のようです。「十五銀行」に綾小路護は大学卒業後に就職。

 菊池武徳は慶応を卒業後、福澤諭吉の時事新報で記者として経験を積んだ後、門司の門司新報に行き、経営にも携わります。福澤の後押しもあったとか。のちに朝野新聞社長にもなります。

 そのころ北九州の電力需要に応じるために九州水力電気という会社ができ、そこにも「十五銀行」は出資をします。また、中津の経済人も福澤の関与でそれに出資しています。その山間地のダムと勾配を利用した水力発電所の建設に技術的にかかわったのが養子の秋田重季です。当時、電気は逓信省管轄。小規模な発電会社はいくつかあり、水利権の調整に苦慮した大分県が、電力会社の統合を打診。記録にははっきりわかりませんが、菊池武徳は新聞関係者・政治家としてそこにかかわったのではないかと思います。三者ともつながりがあったのではないか。日田の女子畑ダムの発電所は当時東洋一で、プロジェクト成功の同志的な気持ちはあっただろうと思います。政治的な考えも、近かったのではないか。

 この写真の違和感、なぜ秋田子爵の地元の三春でなく弘前か、がなんとなくわかったような気がしました。菊池武徳も慶応の評議員をした人なので、弘前の慶応人脈の重鎮です。〔菊池哲子〕

 以上の菊池さんの調査報告により、写真の人物(男性7名)がほぼ判明しました。その結果、和田家と秋田子爵家、そして慶應義塾とが繫がり、これが正しければ東日流外三郡誌の真作説の傍証となり、和田家と秋田家との関係は昭和60年頃からとする偽作論者の主張が否定されます。そしてこの調査結果は、福澤諭吉の『学問のすヽめ』冒頭の一節「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」が、和田家文書からの引用とするテーマへと発展します。
今回の共同研究において、菊池哲子さんはAIを駆使されました。わたしが写真円内の人物調査に行き詰まっていたとき、菊池さんはAIに何度も問いかけ、核心に迫り、弘前と慶應義塾との深い関係に気づかれたのでした。学問的質問に対して日本語AIは間違うことが多く、わたしはあまり信用していませんでしたが、菊池さんの調査結果を知り、認識を少し改めることができました。(おわり)

〖写真説明〗和田家文書「学文のしるべ」の冒頭と末尾。文中に「天は人の上に人を造らず~」の一節が見える。

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