第3604話 2026/03/12

國枝浩「『夷狄』考」の衝撃 (5)

 ―周代史料、精華簡『繋年』の「西戎」

 國枝浩さんの「『夷狄』考 ―『論語』と『史記』より―」(注①)には次の指摘がなされています。

(a)『論語』には「夷狄」の語は見えるが、「東夷」「北狄」のように方角とは結びつけられていない。
(b)このことから、孔子の時代(周代春秋期・紀元前六世紀頃)の「夷狄」は周辺の未開の異民族と認識されるにとどまっている。
(c)「夷狄戎蛮」と方角(東西南北)が結びつけられるのは、司馬遷の『史記』やその影響を受けた後代の『論語』解説書による。
(d)従って、『論語』「公冶長」などを根拠として、孔子が東夷の国としての倭国(日本列島)の存在を知っていたとする古田説は『史記』に幻惑されたものであり成立しない。

 わたしは(c)の指摘には同意できません。その理由として、周代史料に方位付き夷蛮戎狄の例があるからです。そこでまず最初に、成立年代が炭素同位体比年代測定により紀元前305±30年(戦国期後半)と証明されている竹簡、精華簡『繋年』第二章(注②)の次の記事を紹介します。

〔原文〕周幽王取妻于西申、生平王、王或(又)取褒人之女、是褒姒、生伯盤。褒姒嬖于王、王與伯盤逐平王、平王走西申。幽王起師、回(圍)平王于西申、申人弗畀、曾人乃降西戎、以攻幽王、幽王及伯盤乃滅、周乃亡。
〔釋文〕周の幽王、妻を西申より取り、平王を生む。王或いは褒人の女を取り、是れ褒姒にして、伯盤を生む。褒姒、王に嬖せられ、王と伯盤と平王を逐(お)い、平王西申に走る。幽王師を起し、平王を西申に回(かこ)み、申人弗畀(おそ)れず、曾人乃ち西戎に降りて、以て幽王を攻め、幽王と伯盤と乃ち滅び、周乃ち亡ぶ。

 紀元前四世紀、周代戦国期の同時代史料(竹簡)に「西戎」の用例が見えますから、「夷狄戎蛮」と方角(東西南北)の結びつけが周代戦国期には為されていたことを疑えません。

 なお、精華簡とは北京の「精華大学蔵戦国竹簡」の略で、2388点の竹簡からなる膨大な史料です。このうち、138件からなる編年体の史書が『繋年』と名付けられ、2011年に発表されました。西周から春秋時代を経て戦国期までおおむね時代順に配列されており、全二三章のうち第一章から第四章までに西周の歴史が記されています。竹簡が同時代史料として有力であることは、拙稿「周代の史料批判」(注③)でも論じました。(つづく)

(注)
①國枝浩「『夷狄』考 ―『論語』と『史記』より―」『東京古田会ニュース』226号、2026年。
②原文は維基文庫(WEB)による。釋文は小寺敦氏の「精華簡『繋年』訳注・解題」(『東洋文化研究所紀要』第170冊、2016年)に従った。
③古賀達也「周代の史料批判 ―「夏商周断代工程」の顛末―」『多元』171号、2022年。

〖写真説明〗精華簡『算表』

フォローする