國枝浩「『夷狄』考」の衝撃 (7)
―周代史料、『山海経』の「倭」―
精華簡『繋年』の「西戎」、『爾雅』の「九夷」に次いで『山海経』(注①)の「倭」記事を紹介します。中国最古の地理書『山海経』も周代戦国期の成立で、前漢期に増補したとされています。おそらく中国史料で最も初期の「倭」の記事と思われます。
○『山海経』「海内北経」
〔原文〕蓋國在鉅燕南、倭北。倭屬燕。
〔釋文〕蓋國は鉅燕(きょえん)の南、倭の北に在る。倭は燕に屬す。
これは蓋國の位置を示したもので、蓋國は鉅燕の南、倭の北にあると記されています。鉅燕とは中華(海内)の中の東北の隅にある大国燕(えん)のことで、「鉅」とは「巨」を意味します。その南にある蓋國は朝鮮半島の国と思われ、その蓋國は倭の北にあると記されています。従って、これを素直に理解すると、この倭は朝鮮半島の南岸にあったことになります。あるいは朝鮮半島南岸と日本列島を含む領域の可能性があります。
なお、鉅燕の位置は同じ『山海経』の「海内東経」に次のように記されており、中華(海内)の東北の隅(陬)、すなわち、北京付近から朝鮮半島の北側に至る大国と思われます。従って『山海経』の地理認識は比較的〝正確〟ではないでしょうか。
○『山海経』「海内東経」
〔原文〕鉅燕在東北陬。
〔釋文〕鉅燕は東北の陬(隅)に在る。
そして、「倭は燕(えん)に屬す」とありますから、当時の倭は燕国に政治的に属していたことになります。このことについて、古田先生は次のように論じています。
〝今、わたしに注目されるのは、「倭は燕に屬す」の一句です。「属す」とは、何を意味する言葉でしょう。“地理的に属している”というのでは、意味をなしません。やはり、それは“政治的に属している”ことです。いいかえれば“その倭人は燕へ貢献物を持参していた”ということです。「貢献物」こそ、“政治的に属す”ことの“物理的証拠品”なのですから。
とすると、“倭人は燕に貢献物をもっていった”ことになるわけですが、「燕」は決して終着点ではありません。“周の天子のもとの燕王”なわけですから、「夷蛮」が燕王に貢献物を持参する、ということは、実は“燕王を通じて周の天子に貢献する”ことなのです。とすると、ここにも――この戦国期の周の書物にも――「倭人の周王朝貢献」の事実が裏付けられていたことになるわけです。〟『邪馬一国への道標』「(一)縄文人が周王朝に貢献した 山海経の秘密」(注②)
わたしは三十代の若き日に、この古田先生の論証に触れ、文献史学の可能性と奥深さを知ったのでした。(つづく)
(注)
①原文は中国哲学書電子化計画(WEB)による。釋文は古賀による。
②古田武彦『邪馬一国への道標』講談社、一九七八年。ミネルヴァ書房より復刻。