第1027話 2015/08/16

武蔵国分寺の方位は「磁北」か

 「洛中洛外日記」1021話(2015/08/12)で、「武蔵国分寺」の設計思想として、「七重の塔が、傍らを走る東山道武蔵路と平行して南北方位で造営されているにもかかわらず、その後、8世紀末頃に造営されたとする金堂などの主要伽藍が主軸を西に7度ふって造営された理由が不明。」と記したのですが、それを読まれた関東にお住まいのYさん(古田史学の会・会員)から、大変重要なご指摘のメールをいただきました。

 それは、「武蔵国分寺」の金堂などの主要伽藍の方位は「磁北」とのことなのです。Yさんのご指摘によれば、東京の磁北は真北方向より西へ7度ふれているとのことで、「武蔵国分寺」主要伽藍の方位のずれと一致しているのです。これは偶然の一致とは考えにくく、「七重の塔」や東山道武蔵路は真北に主軸を持つ設計ですが、「武蔵国分寺」主要伽藍造営者はそれらとは異なり、「磁北」を主軸として設計したのです。従って、設計の基礎となる基本方位の取り方が、たまたま7度ふれていたのではなく、磁北採用という設計思想が計画的意識的に採用された結果と考えられます。

 古代寺院や宮殿の主軸は天体観測による真北方位(北極星を基点としたと思われます)が採用されているのが「当然」だと今まで考えてきたのですが、Yさんのご指摘を得たことから、「磁北」を採用したものが他にもあるのか、もしあればそれは九州王朝から近畿天皇家への権力交代に基づくものか、あるいは地域的特性なのかなどの諸点を再調査したいと思います。

 読者や会員の皆様のご教導により、多元的「国分寺」建立説の研究も着実に前進しています。もちろん、まだ結論は出せませんが、どのような歴史の真実に遭遇できるのか、ますます楽しみな研究テーマとなってきました。(つづく)

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