「鬼前太后」「干食王后」の出典
「古田史学の会」9月の関西例会では、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)からも貴重な報告がありました。法隆寺釈迦三尊像光背銘に記された上宮法皇(阿毎多利思北孤)の母親と奥さんの名称「鬼前太后」と「干食王后」の出典は仏典であったとする仮説です。
正木さんの調査によると、「小地獄(無限地獄)」に落ちて受ける罰の一つに「鉄、野干、食処(てつやかんじきしょ)」というものがあり、これは仏像・僧侶などを焼いたり毀損した罪で、「身体から火が吹き出し、鉄の瓦が降り罪人を打ち、炎の牙の野干(ジャッカルとも。日本では狐に似た動物とされる)に食われる」という地獄。つまり「干食」は仏教上ではこうした罪を受ける意味を持っているとのこと。
「鬼前」は前世で仏教を信じず侮った罪とされ、北魏の延興2年(472)に訳された『付法蔵因縁伝』に見える「斯鬼前世一是吾息一是兄婦(以下略)」を出典とされました。その意味は「鬼の前世は息子夫婦で、仏教を侮った罪で鬼に生まれ罪の報いを受けた」とのことで、ここに「鬼前」が見えます。
結局、これらの語はいずれも仏教に背き罪を受け、無限地獄に落ち苦しむ様を示しています。多利思北孤の母、妻は、地獄の苦しみか(天然痘による病没か)らの釈迦の救済を求め、そこからの救済を行うために、「戒名」として授けられたと正木さんは考えられました。
例会参加者からはそのような悪い戒名を天子の母や妻に付けるものだろうかという疑問も出されましたが、従来典拠不明とされていた「鬼前」「干食」の語を仏典から見いだされたことから、一つの仮説として研究に値するものと思います。「法興」「聖徳」に続いて「鬼前」「干食」も仏教に関わる語とされる正木さんの一連の研究は、九州王朝仏教史研究において貴重な成果ではないでしょうか。
なお、この正木さんの研究は『古田史学会報』130号に掲載予定です。