「東寺百合文書」の思い出
「東寺百合文書」(とうじひゃくごうもんじょ)がユネスコの世界記憶遺産に登録されたとのニュースに接し、30年程前のことを思い出しました。
古田史学を知り、「市民の古代研究会」に入会したての頃、わたしは九州年号を研究テーマの一つにしました。当時の研究状況は九州年号史料の調査発掘がメインでしたので、研究や調査の方法もどこにどんな史料があるのかも全くわからない「ど素人」のわたしは、京都や滋賀の寺社を訪問したり、京都府立総合資料館にこもって史料探索をしていました。
ちょうどそのころ、京都では「東寺百合文書」の調査と活字化が行われており、府立総合資料館には「東寺百合文書」の活字本が閲覧可能となっていました。そこでその中に九州年号があるかもしれないと思い、それこそ読めもしない漢文や漢字だらけの膨大な「東寺百合文書」を目を皿のようにして「眺め」ていました。ちなみに、当初わたしは「東寺百合文書」を何と読むのかさえも知らず、「とうじゆりもんじょ」と思いこんでいました。今から思い出してもお恥ずかしい限りです。
当時は古田先生に入門したばかりで、化学系のわたしは古文書など読めもしませんし、まったくの初心者でした(今も得意ではありません)。そこで、読むのではなく「○○年」という文字列を検索(眺めて見つける)するという手法を採用しました。まだ若かったこともあり府立総合資料館の朝の開館から夕方の閉館まで昼食もとらずに何時間も「東寺百合文書」を猛烈なスピードで眺め続けました。結局、九州年号を見つけることはできませんでしたが、とても良い訓練となりました。このときの経験が後に何度も役立つのですが、そのことは別の機会にご紹介したいと思います。
「東寺百合文書」が世界記憶遺産に登録されたことで、改めてネットで調べてみますと、なんと京都府立総合資料館のサイトでWEB検索ができるようになっていました。しかも「年号」での検索も可能です。隔世の感があります。今は視力も体力も集中力も落ちていますから、こうしたWEB検索機能は大変ありがたいことですが、若い頃のあのハードな訓練はやはり研究者にとって得難い体験です。古田学派の若い研究者にもWEBにあまり依存することなく、現物の古文書や紙媒体による史料調査の経験も積んでいただきたいと思いました。