坐摩神社の「くい」神
先日、所用で大阪市中央区久太郎町に行ったとき、坐摩神社という神社があり何と読むのかわからず、珍しいお社だったこともあり、社務所に寄り、御由緒書をいただきました。それによると、「いかすりじんじゃ」と読み、通称「ざまじんじゃ」と記されていました。
御祭神は次の五柱で、
生井神・いくゐのかみ
福井神・さくゐのかみ
綱長井神・つながゐのかみ
波比岐神・はひきのかみ
阿須波神・あすはのかみ
最初の三神はいわゆる「くい」神のようです。綱長井神はおそらく「つのくい神」が本来の名称で、後に「つながい」に変化したものと思われます。というのも記紀神話で「いきくい」と「つのくい」がセットで現れる場合があり、西井健一郎さん(古田史学の会会員・大阪市)の説によれば、これは壱岐・対馬に由来する「くい」神であり、かなり古層に位置する神となります。
坐摩神社は『延喜式』にも見える古社であり、摂津国西成郡の大社とされ、豊臣秀吉の大阪城築城にともない現在の場所に移転されたとのことです。
この「くい」神の淵源は少なくとも弥生時代まで遡りますので、この地に弥生時代から存在していた神とすれば、滅ぼされた銅鐸王国の神々だった可能性があります。すなわち、「くい」神は銅鐸圏の神だったのではないかと想像しています。
天孫降臨以来の倭国に滅ぼされた銅鐸圏(狗奴国)にも自らが信仰する神々や祖先神話があったはずです。その伝承は既に失われているのですが、坐摩神社のような「くい」神を御祭神として祀る神社を探ることで、その実態が解明できるかもしれません。