第518話 2013/01/29

「律令」の中の九州王朝

 今年に入って、『養老律令』の研究を進めています。2月24日の東京講演(多元的古代研究会主催)での発表の準備も兼ねていますが、『養老律令』を精査することにより、九州王朝の痕跡を探し、九州王朝史復元が進められると考えたからです。
 701年に九州王朝に代わって列島の代表王朝となったばかりの大和朝廷の姿を研究することにより、その直前の7世紀の九州王朝の実体が見えてくると思う
のですが、その理由として大和朝廷は九州王朝の制度を利用し、王朝交代直後の諸制度は九州王朝の影響を色濃く受けていると考えられるからです。
 たとえば、701年以後の行政単位である「郡」の名称や規模が九州王朝の「評」とほぼ同じということや、『日本書紀』に九州王朝史書の盗用が行われてい
ることから、大和朝廷は九州王朝の「実績」「権威」を受け継ごうとしたことが判明しており、これらのことから大和朝廷は九州王朝に自らの姿を似せて体制作
りを試みたと考えられるのです。
 たとえば、『養老律令』には「蔵司(くらのつかさ)」という職掌(役所)がありますが、九州王朝の都である大宰府政庁の西側に「蔵司」という地名があり
大規模倉庫遺跡が出土していることから、「蔵司」という職掌はもともと九州王朝に存在していたと考えられ、九州王朝律令にも「蔵司」の項目があったと推定
されるのです。
 このように大和朝廷の「律令」を研究することにより、九州王朝の復元研究も可能となるのです。来る東京講演ではこうした視点から「王朝交代の古代史 –7世紀の九州王朝」について発表します。ご期待ください。

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