「龍」「馬」銀象眼鉄刀の論理
昨日の「古田史学の会」関西例会で、田原さんと大下さんから発表された宮崎県の島内114号地下式横穴墓(えびの市)から出土した「龍」銀象嵌大刀について考察しました。「龍」は天子のシンボルであり、その「龍」の銀象嵌鉄剣を持つ被葬者は当地の最高権力者ではないでしょうか。
この「龍」銀象眼鉄刀を知り、真っ先に思い浮かべたのが同じ九州から出土した江田船山古墳(熊本県和水町。5世紀末〜6世紀初頭)出土の「馬」「水鳥」「魚」「菊花文」が銀象嵌さたれ鉄刀(国宝)でした。おそらくは被葬者は九州王朝の有力武人と思われますが、金象嵌ではなく銀象嵌であることなどから九州王朝の倭王ではなく、その配下の肥後の有力豪族と推測したものです。
ところがえびの市の島内114号地下式横穴墓出土の鉄刀は同じ銀象嵌ですが、天子のシンボルである「龍」が象嵌されていることから、位取り的には江田船山古墳の被葬者よりも「上位」と考えざるを得ません。他方、その墓制を比較すると、江田船山古墳は墳丘長62mの前方後円墳で、墳丘を持たない島内114号地下式横穴墓とは様相が全く異なります。すなわち、南九州特有の墓制である地下式横穴墓には墳丘により被葬者の権威を誇るという思想性は見られず、むしろ盗掘を恐れて目立たないように埋葬したのではないかとさえ思われるのです。
この現象は墓制に関する思想性の差かもしれませんが、古代における権力者間の衝突という側面もあったのではないかと考えています。おそらく、北から前方後円墳のような大型古墳の築造勢力(九州王朝か)が南下し、その侵攻と支配に備えて、盗掘から逃れるために地下式横穴墓が採用されたのではないでしょうか。それでは侵攻を受けた南九州の勢力とは何だったのでしょうか。通説では「熊襲」「隼人」と呼ばれた勢力ですが、その実体についての解明は不十分なようです。(つづく)