第1518話 2017/10/16

九州年号「大化」の原型論(3)

 九州年号原型論に関する『二中歴』と「丸山モデル」との論争において、丸山さんの主張は次のようなものでした。

(a)『二中歴』以外の九州年号群史料には「大長」があり、「大長」がない『二中歴』は孤立している。従って、「大長」は実在したと考えるべき。
(b)六八六年(丙戌)を「朱鳥元年」とする『二中歴』に対して、同年を「大化元年」とする諸史料がある。後代の九州年号群史料編纂時において、『日本書紀』で公認されている「朱鳥」が消される理由はない。しかし「朱鳥」がない史料があることから、元々「朱鳥」は九州年号ではないと考えるのが論理的である。従って「朱鳥」がある『二中歴』は『日本書紀』の影響を受けて「朱鳥」が追記されたものと考えられ、その史料としての信頼性は劣る。
(c)『二中歴』には最初の年号として「継躰」がある。これは近畿天皇家の天皇の諡号「継躰」が年号と誤解されたもので、『二中歴』は信頼性が劣る。
(d)『二中歴』以外の多くの九州年号群史料を総合的に比較検討して作成した「丸山モデル」に比べて、史料的に孤立している『二中歴』一つだけを史料根拠とする方法は不適切であり、説得力がない。
(e)鎌倉時代初頭に成立した『二中歴』が九州年号群史料としては現存最古だが、室町時代に成立した他の九州年号群史料(「丸山モデル」型)もあり、両者はそれほど時代的に離れてない。従って、成立が早いという理由で『二中歴』が優れるというのはそれほど説得力はない。

 以上のような点を上げられて、丸山さんは自説の正当性を主張されました。わたしも(b)の理由から、当初はこの「丸山モデル」が妥当と考えていました。(つづく)

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