第629話 2013/12/04

「学問は実証よりも論証を重んじる」(7)

 今日、午前中は名古屋で商談を行い、今は東京九段のホテルにいます。夕方、少し時間ができましたので、久しぶりに靖国神社を訪れました。名古屋駅前の桜通りの銀杏並木と同様に、靖国神社の銀杏も黄葉がきれいでした。

 九州年号研究の結果、『二中歴』に見える「年代歴」の九州年号が最も原型に近いとする結論に達していたのですが、わたしには解決しなければならない残された問題がありました。それは『二中歴』以外の九州年号群史料にある「大長」という年号の存在でした。
 『二中歴』には「大長」はなく、最後の九州年号は「大化」(695~700)で、その後は近畿天皇家の年号「大宝」へと続きます。ところが、『二中歴』 以外の九州年号群史料では「大長」が最後の九州年号で、その後に「大宝」が続きます。そして、「大長」が700年以前に「入り込む」形となったため、その 年数分だけ、たとえば「朱鳥」(686~694)などの他の九州年号が消えたり、短縮されていたりしているのです。
 こうした九州年号史料群の状況から、『二中歴』が原型に最も近いとしながらも、「大長」が後代に偽作されたとも考えにくく、二種類の対立する九州年号群史料が後代史料に現れている状況をうまく説明できる仮説を、わたしは何年も考え続けました。その結果、「大長」は701年以後に実在した最後の九州年号とする仮説に至りました。その詳細については「最後の九州年号」「続・最後の九州年号」(『「九州年号」の研究』所収)をご覧ください。具体的には「大長」 が704~712年の9年間続いていたことを、後代成立の九州年号史料の分析から論証したのですが、この論証に成功したときは、まだ「実証(史料根拠)」 の「発見」には至ってなく、まさに「論証」のみが先行したのでした。そこで、わたしは「論証」による仮説をより決定的なものとするために、史料(実証)探索を行いました。(つづく)

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