第1800話 2018/12/07

「須恵器坏B」の編年再検討について(5)

 藤井巧・亀井明徳著『西都大宰府』に記された大宰府政庁Ⅰ期整地層から出土した須恵器坏Bの存在を知ったとき、わたしは太宰府条坊都市の造営を九州年号「倭京元年(618)」とする研究を発表していたこともあり、須恵器坏Bを7世紀前半とできるだろうかと真剣に考えました。その研究過程で知ったのが前期難波宮整地層出土の坏Bの存在でした。7世紀中頃(孝徳期)に造営された前期難波宮の整地層からの出土ですから、その頃以前に同坏Bは製造されたことになり、従来は7世紀後半の出現と考えられてきた須恵器坏Bの編年の再考を促すものでした。
 もし、前期難波宮整地層出土須恵器坏Bと同様に大宰府政庁Ⅰ期出土坏Bも7世紀中頃以前までに遡ることができれば、太宰府条坊都市も7世紀前半頃とできるかもしれません。九州王朝史研究において、その都の造営年代の研究は不可欠です。今回の検討の結果、須恵器坏Bの編年見直しが九州王朝説にとって重要なテーマとして浮かび上がってきました。太宰府出土須恵器の本格的な見直しが必要です。

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