アマビエ伝承と九州王朝(2)
流行病を防ぐというアマビエ伝承に、わたしが関心を持ったのは九州王朝史研究において古代の感染症(天然痘など)記事が見出されたことによります。たとえば、九州年号史料に「老人死す」という記事が見え、それがどのような事件を意味するのか不明だったのですが、新型コロナウィルスによる高齢者の死亡や重症化が多いことから、同記事は感染症発生の痕跡ではないかと考えました。
①『二中歴』「年代歴」
「蔵和」(559~563年)「此年老人死」
②『田代之宝光寺古年代記』
「戊刀兄弟 天下芒鐃ト言 健軍社作始也 老人皆死去云々」
※「戊刀」は「戊寅」(558年)のこと。
①『二中歴』の九州年号「蔵和」の細注に「此年老人死」とあります。しかし、「此年」が「蔵和」年間(559~563年)のどの年のことか不明ですし、「老人」は特定の人物なのか、老人一般のことなのかもこの記事からはわかりません 。
他方、②『田代之宝光寺古年代記』には九州年号「兄弟」(558年)の年の記事中に「老人皆死去」があり、「皆」とありますから、「老人」は特定の人物ではなく、やはり新型コロナの様な伝染病が発生し、「老人が皆死去した」と理解するのが穏当のように思われます。
更にこの記事の前半部分「天下芒鐃ト言 健軍社作始也」は熊本市の健軍神社創建記事であることから、この「老人皆死去」という記事の場所も肥後地方のことと考えるべきでしょう。ちなみに、「田代之宝光寺」は鹿児島県肝属郡田代村にあったお寺のようですから、『田代之宝光寺古年代記』に記された同記事の舞台は肥後地方とする理解が支持されています。
この記事以外にも、九州年号「金光」(570~575年)のときにも天下に熱病が流行ったため、仏像(善光寺如来)が百済から贈られてきたり、厄除けのために九州王朝で四寅剣(福岡市元岡遺跡出土)が作刀されたことが、正木裕さんの研究により明らかとなっています(注)。
この肥後国を舞台とした健軍神社創建や流行病発生の記憶が、今回のアマビコ(アマビエ)伝承の淵源にあるのではないかと、わたしは考えたのです。(つづく)
(注)
正木 裕「福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について」(『古田史学会報』一〇七号、二〇一一年十二月)
古賀達也「『大歳庚寅』象嵌鉄刀の考察」(同上)
古賀達也「金光元年(五七〇)の『天下熱病』」(「洛中洛外日記」八四八話 二〇一五年一月三日)
正木 裕「『壹』から始める古田史学・二十三 磐井没後の九州王朝3」(『古田史学会報』一五七号、二〇二〇年四月)
古賀達也「古代日本の感染症対策 ―九州王朝と大和朝廷―」(『東京古田会ニュース』一九三号、二〇二〇年七月)