百済武寧王陵墓碑が出展
みなさま、あけましておめでとうございます。
実家の久留米に帰省し、毎日のんびりとテレビを見ています。さすがに地元だけあって、HKT48が頻繁にテレビ出演しています。更に元日から開催される九州国立博物館の「古代日本と百済の交流 大宰府・飛鳥そして公州・扶餘」の告知コマーシャルもよく目にします。特別展示として七支刀(期間限定 1/15~2/15)や百済武寧王陵墓碑が出展されるとのこと。3月まで開催されるようですので、是非、拝見したいものです。
特に武寧王陵墓碑は見てみたいと願っています。というのも、墓碑に記された武寧王の没年干支を確認したいのです。通常、同碑文の没年干支は「癸卯」 (523年)と紹介されることが多いのですが、実は古田先生等が1998年に同碑文を実見されたところ、干支部分は改刻されて「癸卯」とされていますが、 本来の原刻は「甲辰」であることを発見されたのです。すなわち、干支が一年ずれているのです。このことについて、わたしは『古田史学会報』31号 (1999年4月)において、「一年ずれ問題の史料批判 百済武寧王陵碑『改刻説』補論」として報告しました。本ホームページに掲載していますので、ご覧ください。
韓国国宝の同墓碑が国内で見られるとは思ってもいませんでしたので、何とか展示期間中に九州国立博物館を訪れ、この目で見てみたいものです。
(後記)JR久留米駅で入手した観光案内パンフレット「太宰府天満宮&九州国立博物館」に「古代日本と百済の交流 大宰府・飛鳥そして公州・扶餘」の紹介があり、そこに「武寧王墓誌」の写真が掲載されていました。その写真をよく見ると、「癸卯」の二字部分が少し 削られて、へこんでいることがわかります。もちろん、このことを知らなければ気づかない程度ですが、写真でもわかるのですから、実物を直接見れば、削られ た原刻の「甲辰」という字の痕跡を確認できると思います。