中華書局本『旧唐書』の原文改訂
正月明けから、年始の御挨拶周りと三月決算期に向けての予算達成のための新製品投入による採用交渉や開発・マーケティング等連日の出張で神経を使っているせいか、帰宅しても仕事から古代史への頭の切り替えに苦しんでいます。
「洛中洛外日記」857話で『三国志』中華書局本の原文改訂(三百里→三十里)を紹介しましたが、実は他にも中華書局本にはこのような不注意・誤解に基づく誤りがありました。
それは中華書局本『旧唐書』貞元二十一年(805)条に見える、「日本国王ならびに妻蕃に還る」という記事です。日本国王夫妻(天皇・皇后か)が805年に唐から帰国したという不思議な記事で、従来から注目していました。
あるとき、この記事のことを古田先生に相談したのですが、805年ですので九州王朝の国王夫妻のこととも思えず、まして近畿天皇家の天皇夫妻が訪中したなどという痕跡は国内史料にはありませんので、どのように理解したらよいのかずっと考えあぐねていました。
ところが古田先生はこの難問を見事に解決されたのです。すなわち、これは中華書局本の誤読、句読点のミス(文章の区切り方の誤り)であり、正しくは「方(まさ)に釋(ゆる)すの日、本国王(吐蕃国王)ならびに妻(め)とり蕃(吐蕃)に還る。」と読解するべきであるとされたのでした。古田先生はこのことを「歴史ビッグバン」という小論にされ、『学士会会報』(第816号、1997年所収)で発表されました。
このときも本当に古田先生はすごいなあと感心し、同時に中華書局本を歴史研究テキストとして用いることの危険性を痛感しました。以来、わたしは史料の選択や史料批判に一層慎重となりました。これは、わたしが古田先生から学んだ「学問の方法」の一つです。