『史記』天官書、「中宮」か「中官」か(6)
本シリーズでは『史記』天官書の原文が「中宮」か「中官」かという問題を扱ってきましたが、このような場合は通常の文献研究では原本調査や原本に近い写本・刊本の調査を真っ先に行うのですが、『史記』に関してはそうした基本的な調査がかなり困難なのです。というのも、今から二千年以上前に竹簡に書かれたものですから、原本はもとより、それに近い写本・刊本の遺存など望むべくもないからです。
そのため、はるか後世の注釈書に記された『史記』本文部分の記録によらなければなりません。しかもその注釈書は、現存最古のものでも南宋代まで時代が下がるという状況です。それならばその南宋版の現物を見たいと思い、調べたところ、なんとわが国にあることがわかりました。
それは「南宋慶元黄善夫本」と呼ばれており、国宝に指定されていました。国宝なので現物は無理でしょうから、その影印本だけでもなんとかして見たいと思い、京都府立図書館の館員さんに調査を頼み込んだところ、何と自宅のパソコンからweb上で閲覧可能であることを突き止めていただいたのです。丁重に館員さんにお礼を述べ、急いで自宅に戻り、パソコンで検索しました。それは国立歴史民俗博物館のホームページに収録されており、全巻の閲覧が可能でした。URLは下記の通りです。
https://khirin-a.rekihaku.ac.jp/database/sohanshiki
国立歴史民俗博物館 データベース
同サイトには「南宋慶元黄善夫本」について次の解説がありましたので転載します。なお、こうしたことは中国古典の研究者・専門家には常識のことと思います。
【以下、転載】
南宋時代(南宋慶元年間(1195~1201)刊か) 前漢の司馬遷(前135?~)による黄帝から漢代までの歴史書。「三史」と通称される『史記』『漢書』『後漢書』の一つ。全130巻からなり、本紀(帝王の事績)・表(年表)・書(制度沿革)・世家(諸侯の系譜と事績)・列伝(人物伝)の五部に分かれる。中国だけでなく日本でも必読書として重んじられた。これらは当初、竹木などに手書きされていたが、宋時代には書道大家の書風をまね、厳密な校正を加えた印刷出版物となり(宋版)、南宋時代には黄善夫のような民間の出版家も出現した。
袋綴冊子本 印記「興学亭印」(朱方印) 「水光邱青」(黒印 朱印 青印)
史記集解・索隠・正義の三注合刻本で、全130巻完存した現存最古本。「建安黄善夫刊/于家塾之敬室」の刊記があり、建安(現在福建省)で刊行。石清水八幡宮耀清・月舟寿桂・直江兼続・上杉藩校興譲館伝来。
【転載おわり】
同サイトで、真っ先に『史記』天官書を閲覧し、「中宮」「東宮」「西宮」「南宮」「北宮」「員官」「五官」の部分を調べたところ、その通りとなっていました。よって、明治書院版の『新釈漢文大系 史記』や大正時代に出版された『国譯漢文太成 経子史部 第十四巻』が正しいことが判明しました。そこで、現存版本による実証的な調査はこの辺で一応の終わりとなります。
しかし、論証をより重視する学問としては、ここからが真の研究領域となります。それは、なぜ「中宮」「東宮」「西宮」「南宮」「北宮」の総称が「五宮」ではなく、「五官」とされているのかという問題の解明です。しかも現存最古とはいえ、「南宋慶元黄善夫本」は『史記』成立の約千三百年後の版本であり、しかも「宮」と「官」という、よく似た字体の使い分けを問題とするのですから、誤写誤伝の可能性と常に隣り合わせのテーマでもあり、真実解明は容易ではありません。(つづく)