九州王朝の「曲水の宴」
今日はおひな祭りで、毎年の3月3日になるとご近所のMさんから手作りのちらし寿司がお裾分けされます。美味しいだけでなく、見た目もきれいなちらし寿司で、毎年楽しみにしています。M家のお嬢さんと我が家の娘が同い年ということもあり、二人が赤ちゃんの頃からのおつきあいです。両家とも娘のお見合い相手探しなどが共通の話題となっている近年です。
古代史研究で3月3日といえば、「曲水の宴」の日として有名です。特に古田史学では九州王朝の宮廷行事として古田先生が以前から注目されていたテーマでもあります。『日本書紀』では顕宗天皇元年(485)三月条の「曲水の宴」の記事が初見で、同2年さらに3年の三月条に見えますが、それ以後は見えず、『続日本紀』の文武天皇5年(701)になってようやく現れます。この顕宗紀の記事が歴史事実がどうか、あるいは九州王朝史書からの盗用の可能性もあり、701年のONライン(九州王朝から近畿天皇家への王朝交代)以後になって近畿天皇家の行事として散見されることから、ONラインより以前は「曲水の宴」は九州王朝のみに許された宮廷行事だったのではないでしょうか。
ちなみに、「曲水の宴」遺構は久留米市の「筑後国府」跡から出土しており、7世紀以前の九州王朝により催されていた「曲水の宴」の考古学的痕跡です。
なお、太宰府天満宮では「曲水の宴」が毎年催されており、今年は3月1日に開催されました。九州王朝の故地にふさわしい行事です。