「邪馬台国」〝非〟大和説、伊都国の証言
–関川尚功『考古学から見た邪馬台国大和説』
関川尚功さん(元橿原考古学研究所員)の『考古学から見た邪馬台国大和説』(注①)を読んで、改めて気づかされた重要な論点がありました。その中でも、なるほど面白い視点と思ったのが「邪馬台国」と伊都国との位置関係についての次の指摘でした。
〝邪馬台国と伊都国
『魏志』によれば、邪馬台国の外交は伊都国を窓口としている。ここには「一大率」が置かれ、また帯方郡使が留まり、さらに魏王朝からの重要な文書・賜物の点検が行われ、その後に邪馬台国への伝送を行うところであったという。この北部九州の伊都国から近畿大和までは、帯方郡から伊都国までの距離に及ぶほどの遠距離である。
魏王朝との通交において直接かかわるような、きわめて重要な港津がある伊都国は、地理的に邪馬台国とは、かなり遠隔の地にあるとは考え難い。伊都国で厳重な点検を受けた魏の皇帝からの重要文書や多種多量の下賜品を、さらにまた近畿大和のような遠方にまで運ぶようなことは想定できないからである。
これら国の外交にかかわる重要な品々の移動を考えれば、伊都国は邪馬台国と絶えず往還できるような、比較的遠くない位置にあったとみるべきであろう。〟177頁
〝仮に邪馬台国が大和であるならば、後の事例からみてその外港の位置は、おそらく河内潟や大阪湾岸地域であろうから、伊都国が外港である邪馬台国は大和ではありえない、ということにもなる。〟178頁
倭国と魏王朝との外交の窓口(外港)とされる伊都国は、倭国の都である邪馬台国(原文は邪馬壹国)と遠くない位置になければならず、したがって、「邪馬台国」大和説は成立しないという論理は単純明快で、反論が困難です。このテーマは、『三国志』倭人伝に関する文献史学の論理的問題ですので、考古学者の関川さんからこうした指摘がなされていることに驚きました。このことが、同書を「わたしがこれまで読んだ考古学者による一般読者向けの本としては最も論理的で実証的な一冊」(注②)と評した理由の一つでした。(つづく)
(注)
①関川尚功『考古学から見た邪馬台国大和説 ~畿内ではありえぬ邪馬台国~』梓書院、2020年。
②古賀達也「洛中洛外日記」2480話(2021/06/06)〝邪馬台国畿内説の終焉を告げる〟