古田先生との「大化改新」研究の思い出(5)
藤田友治さんの研究「日本古代碑の再検討 ―宇治橋断碑について―」により、九州年号「大化」と「大化改新」を結びつけるという学問的可能性が拓けたのですが、その九州年号「大化」の年代について影響を与えたのが丸山晋司さん(市民の古代研究会・幹事)による『二中歴』の研究でした(注①)。
九州年号史料には「大化」の位置(元年干支)について複数の異伝があるため、暦年特定という課題が未解決でした。主なものとして次の例があり、九州年号研究者間で激しい論争が続いていました(注②)。
「丸山モデル」 686~691年 元年干支「丙戌」 丸山晋司さんが提唱。
『二中歴』年代歴 695~700年 元年干支「乙未」 古田先生が支持。
『皇代記附年代記』698~700年 元年干支「戊戌」 中村幸雄さんが支持。
丸山さんは自らが提唱された「丸山モデル」と呼ばれる年号立てを原型とされ、『二中歴』の年号立てを誤伝としました。わたしも「丸山モデル」が正しいと当初は考えていましたが、古田先生から史料批判の方法や考え方を直接に学ぶ機会があり(注③)、先生と同様に『二中歴』が最も九州年号の原型を留めているとする理解に至りました(注④)。
丸山さんは『二中歴』の成立が鎌倉初期であることに価値を見出され、〝鎌倉時代から室町時代にかけて、僧侶が偽作した〟とする偽作説への反証としました。こうした丸山さんの九州年号研究や偽作説との論争について、古田先生は高く評価されていました。たとえば、『失われた九州王朝』朝日文庫版(注⑤)の「あとがき」に次のように紹介されています。
〝以上のように、現在の写本状況からは、『二中歴』を「原型」として判断せざるをえないのである。この点、論争中にこの『二中歴』を扱われた、所功・丸山晋司の両氏に深く感謝したい(所氏は、九州年号否定論。丸山氏は「旧形式〔『善化(善記)』〕型」の支持者である)。〟587頁
こうした中村幸雄さん、藤田友治さん、丸山晋司さんの九州年号研究に支えられて、『日本書紀』孝徳紀の大化年間(645~649年)に見える「大化改新」諸詔を、50年ずれた九州年号の大化年間(695~699年)に九州王朝が公布したものとする作業仮説の検証へと、古田先生は突き進まれたのでした。九州年号の大化年間は、九州王朝から大和朝廷への王朝交替(ONライン、701年)直前の時期に相当します。それは王朝交替の真実に肉薄する、古田学派による本格的な「大化改新」研究の幕開けを告げるものでした。そして、1992年1月からスタートした「大化改新」共同研究会からは、古田先生はもとより、大越邦生さんや増田修さんを筆頭とする優れた研究成果が陸続と発表されることとなります。(つづく)
(注)
①丸山晋司「九州年号の史料批判 ④『二中歴』の成立」『市民の古代研究』17号、市民の古代研究会編、1986年9月。
丸山晋司「九州年号の史料批判 ⑤『二中歴』が依拠した文書」『市民の古代研究』18号、市民の古代研究会編、1986年11月。
丸山晋司「古代年号は鎌倉期以降に偽作されたか ―『二中歴』に見る古代年号」『季節《特集 古田古代史学の諸相》』12号、エスエル出版会、1988年8月。
丸山晋司「『古田武彦九州年号論』批判 ―『二中歴』を中心に―」
『市民の古代』11集、市民の古代研究会編、1989年。
丸山晋司「古代逸年号「『二中歴』原型論」批判」『古代逸年号の謎 ー古写本「九州年号」の原像を求めて』株式会社アイ・ピー・シー刊、1992年。
②『市民の古代研究』『市民の古代研ニュース』紙上で九州年号原型論について論争が続いていた。「大化」以外には「白雉」の原型論や「法興」などが争点になった。主な九州年号研究者に、丸山晋司氏(八尾市)、中村幸雄氏(大阪市)、平野雅曠(熊本市)、石川信吉氏(東京都)、千歳竜彦氏、増田修氏(東京都)、古賀達也(京都市)がいた。
③古賀達也「洛中洛外日記【号外】」(2016/08/19)〝『二中歴』の思い出〟を希望会員へネット配信した。以下、転載する。
わたしが古田先生の門を叩いたのが31歳のときでしたから、もう30年も昔のことになります。以来、主に九州年号の研究に取り組んできたのですが、当時、九州年号群史料として最初に『二中歴』に着目されたのは丸山晋司さんでした。「市民の古代研究会」に入会し、九州年号の先駆的研究者だった丸山さんには特に懇意にしていただき、九州年号史料について多くのことを教えていただいた先輩でした。和田家文書偽作キャンペーンのとき、古田先生と袂を分かたれましたが、九州年号に関する研究業績は優れたものがありました。
丸山さんが『二中歴』に着目された理由は、その成立年代の古さでした。他の九州年号群史料は早くても室町時代成立でしたが、『二中歴』は鎌倉時代初頭の成立と考えられ、採録史料の多くは平安時代に遡るという史料性格を有しています。九州年号を鎌倉時代から室町時代にかけて順次偽作されたとする古代史学界の「あん暗黙の通説」を否定する史料として、丸山さんは『二中歴』を重視されたのです。
その後、古田先生も『二中歴』に注目されましたが、その理由は成立年代の古さだけではなく、その九州年号の細注に記されている記事などから、九州王朝系史料に基づいているという史料性格を重視されたことによります。わたしもこの古田先生の見解に賛成し、『二中歴』の九州年号が最も原型に近いという立場に立ちました。
現在、わたしの手元には丸山さんからいただいた『二中歴』尊経閣文庫「古写本」の九州年号部分のコピーと前田育徳会による解説のコピーがあります(昭和14年刊)。それと、八木書房発行『二中歴』影印本(尊経閣文庫蔵「古写本」)の全コピーを持っています。八木書房版は現在入手可能な最も良質な『二中歴』影印本ですが、その大部のコピーをわたしは古田先生からいただきました。20年ほど前のある日、上京区の拙宅に古田先生がひょっこり見えられ、風呂敷に包んだ同コピーをわたしにプレゼントされたのです。膨大なページ数にもかかわらず、古田先生がコピーされ、拙宅まで持参していただいたもので、今でも深く感謝しています。
そのコピーのおかげで、わたしは『二中歴』の全貌を知ることができ、研究にも役立っています。『二中歴』研究の度に同コピーを書架から引っ張り出すのですが、今でも古田先生に励まされているような気持ちで、同コピーを精査する日々が続いています。
④古賀達也「洛中洛外日記」346~351話(2011/11/06~17)〝九州年号の史料批判(1)~(6)〟
古賀達也「『二中歴』の史料批判 ―人代歴と『年代歴』が示す『九州年号』―」『「九州年号」の研究 ―近畿天皇家以前の古代史―』ミネルヴァ書房、2012年。
古賀達也「九州年号の史料批判 ―『二中歴』九州年号原型論と学問の方法―」『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(『古代に真実を求めて』20集)明石書店、2017年。
古賀達也「洛中洛外日記」1516~1518話(2017/10/13~16)〝九州年号「大化」の原型論(1)~(3)〟
⑤古田武彦『失われた九州王朝』《朝日文庫版》朝日新聞社、1993年。