『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (10)
「去京師一萬四千里」と記された距離を考えるにあたり、唐の長里を560mとする説の根拠や妥当性から検証しなければなりません。そこで参考になったのが、「レファレンス協同データベース」(注①)で紹介された『中国古典文学大系 57 明末清初政治評論集』(平凡社 1982)巻末の「中国歴代度量衡基準単位表」に付された次の解説です。
「本表は呉承洛著『中国度量衡史』(1937、商務印書館)によった。ただし、1里および1畝の数値は同書に出ていないので、1尺の数値を基にして機械的に算出した。」
1里559.80mは機械的に算出されたとあり、これを逆算すると、559.80m÷1800尺=31.1cmとなり、1尺31.1cmの尺を1800倍して1里を559.80mとしたようです。これは1800尺を1里とする古代中国のルールに基づいた計算ですが、唐代には複数の尺単位があったことが山田春廣さんのブログ「sanmaoの暦歴徒然草」(2021年12月22日)〝実在した「南朝大尺」 ―唐「開元大尺」は何cmか― 〟に見えます。次の通りです。
唐小尺 金工 長さ24.3 幅1.5 厚さ0.25
唐玄宗開元小尺 金工 長さ24.5 幅1.9 厚さ0.5
唐玄宗開元大尺 金工 長さ29.4 幅1.9 厚さ0.5
※「開元尺」は、唐の玄宗皇帝が開元年間(713年~741年)に『開元令』で定めたとされているもの。
従って、どの尺単位を1800倍するかで1里の距離は大きく変わります。各尺を1800倍すると次のようになります。
唐小尺 24.3cm×1800=437.4m
唐玄宗開元小尺 24.5cm×1800=441m
唐玄宗開元大尺 29.4cm×1800=529.2m
次いで、『中国古典文学大系 22 大唐西域記』(平凡社 1971)により、『西域記』の一里の長さの項に、「一定の公認された数値としては今日なさそうである」としつつ、唐代の1里を320m、441m、453m、454mとする説の紹介があります(注②)。
更に、唐代の1里を約400~440mと考察している資料に森鹿三著「漢唐一里の長さ」(注③)があり、次の唐代の里単位諸説が見えます。
○リヒトホーフェン説 440m
○藤田元春説 436.3m
○狩谷棭斎説 小尺441m 大尺529m
以上のように唐代の1里を320mから大尺の529mとする諸説があり、それぞれに根拠が示されています。他方、わたしが『旧唐書』地理志に見える里程記事で、現代の地名や道路に比較的対応した二点間の距離から逆算した1里の数値は次の通りでした。
○京師⇒河南府(洛陽付近) 「在西京(長安)東八百五十里」 327km〔1里385m〕
○京師⇒卞州 「在京師東一千三百五十里」 497km〔1里368m〕
○東都⇒卞州 「東都四百一里」 170km〔1里424m〕
○京師⇒徐州 「在京師東二千六百里」 757km〔1里291m〕
○東都⇒徐州 「至東都一千二百五十七里」 435km〔1里346m〕
これらの計算値と紹介した諸説の数値を比較検討した結果、「『旧唐書』に記された各里程記事を実際の距離で算出すると、1里の長さはバラバラです。唐の長里を560mとする説は本当に正しいのだろうかとの疑念さえ覚えます」(注④)という感想に至ったわけです。(つづく)
(注)
①「レファレンス協同データベース(事例作成日2015年09月11日)」
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000185887
②同①。
③森鹿三「漢唐一里の長さ」(『東洋史研究』5(6)、1940年)には唐代の1里を440m程度とする説が紹介されている。
④古賀達也「洛中洛外日記」2648話(2021/12/26)〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (7)〟