言素論による富士山名考
京都地名研究会主催の講演会(注①)で研究発表された初宿成彦さんは富士山の名称についても持論を紹介されました(注②)。わたしも富士山の名前を言素論で考証(注③)してきましたので、興味深く拝聴しました。
初宿さんの説は富士を「ふ」と「じ」に分解し、それぞれの意味を探るという手法で、結論として、「ふ」は〝山の神霊〟を意味し、「じ」は〝下〟を意味するとして、「ふじ」とは〝山の神のふもと〟のこととされました。そして本来は富士という地名であり、いつの頃からか地名の富士を山名にして富士山という名称になったというものです。
富士を「ふ」と「じ」に分解することは言素論の視点から賛成ですが、「ふ」は〝生まれる〟〝生む〟のことではないかとわたしは考えています。そして、「じ」は本来は「ぢ」であり、古層の神名「ち」のことではないでしょうか。そして、「ふぢ」とは万物を生む創造神のことではないかと考えています。縄文時代の富士山は噴火していたと聞いたことがありますが、溶岩や噴煙を吹(ふ)き出す姿は文字通り〝天地を創造する神〟のようであることから、古代の人々は「ふち」の山と呼んだのではないかと想像しています。この場合の「吹く」も「ふ」の動詞化と推定されます。
その根拠として、武生(たけふ)や麻生(あそう=あさふ)という地名・人名の「ふ」の音に「生」という漢字を当てられていることがあります。これは「ふ」の音の元来の意味が、「生む」であることを知っていて初めて可能となる当て字だからです。
なお、「ぢ」から「じ」に使用漢字が変化したとする点についてはまだ論証が成立していません。恐らく、西日本では「ち」「ぢ」と発音されていたものが、関東や東北地方では「し」「じ」になったのではないかと推定しています。その傍証として、現代日本人の苗字の「ふくし」(福士)は東北地方に分布しており、「ふくち」(福知、他)は関西に分布していることに注目しています。静岡県西部にあった敷知郡(現、湖西市・浜松市)の「ふち」と富士山の「ふじ」も関係があるように思います。しかしながら、現時点では作業仮説(思いつき)のレベルで、間違っているかもしれませんので、これからも検討を続けます。
(注)
①京都地名研究会(会長:小寺慶昭氏)第57回地名フォーラム。於:キャンパスプラザ京都。
②初宿成彦(しやけ しげひこ)「富士山の呼称由来に関する新説」
③古賀達也「洛中洛外日記」694話(2014/04/15)〝JR中央線から富士山を見る〟
古賀達也「洛中洛外日記」882話(2015/02/25)〝雲仙普賢岳と布津〟