第1452話 2017/07/13

前期難波宮「天武朝」造営説への問い(3)

 前期難波宮「天武朝」造営説の主な論拠として次の三点を紹介しました。

1.天武朝の頃であれば九州王朝は弱体化しており、近畿天皇家の天武が国内最大規模の朝堂院様式の前期難波宮を造営したとしても問題ない。
2.従って、前期難波宮は天武による天武の宮殿と古賀の質問に対して答えることができる。
3.飛鳥編年(白石説)によって前期難波宮整地層出土土器が天武朝の頃と判断できる。

 この中で「天武朝」とする根拠として、3の飛鳥編年(白石説)が正しいとされているのですが、実はこの主張は錯覚ではないかと、わたしは疑っています。というのも、一元史観に基づく白石太一郎さんの飛鳥編年によれば、前期難波宮の成立年代を「早くても660年代の早い時期」で「天武朝までは下らない」とされているからです。従って白石説は「天武朝」造営説ではなく、正しくは「天智朝」造営説なのです。ですから、前期難波宮「天武朝」造営説論者が白石さんの飛鳥編年を自説の根拠とされているのは、失礼ながら錯覚か勝手な思いこみによるものではないでしょうか。それとも白石論文「前期難波宮整地層の土器の暦年代をめぐって」(『近つ飛鳥博物館館報16』2012年)そのものを読んでおられないのかもしれません。
 白石説によれば前期難波宮が「天智朝」造営であることを服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)は2014年から指摘されてきたのですが、残念ながら前期難波宮「天武朝」造営説論者から応答や反論はありません。なぜでしょうか。(つづく)

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