古代倉庫の規模の比較(1)
「洛中洛外日記」2589話(2021/10/11)〝鬼ノ城と前期難波宮の使用尺が合致〟において、古代山城研究の第一人者、向井一雄さんの『よみがえる古代山城』(注①)の次の記事を紹介しました。
「古代山城の倉庫は、通常の郡衙倉庫が三〇平方㍍であるのと比べても大きく、特に大野・基肄城で採用されている三×五間の総柱礎石建物は六〇平方㍍とひときわ大きい。設計に使用された尺度は大野城では天平尺の二九・六㌢よりも若干長く国分寺建設期の一尺(二九・九㌢)と合致する(鏡山 一九八〇)。鬼ノ城では前期難波宮使用尺の二九・二㌢と合致する柱間が指摘されており、大野城倉庫の年代が八世紀代に下る可能性が尺度面からもうかがえる。」108頁
この指摘について、〝九州王朝の都(太宰府条坊都市)を防衛する南北の山城(基肄城・大野城)に「ひときわ大きい倉庫」があることは、九州王朝説に有利な事実です。〟と指摘しました。そうしたところ、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)から、〝一尺(二九・九㌢)では、三×五間は六〇平方㍍にならないのでは〟とのコメントが寄せられました。確かにそのとおりなので、他者の論文(注②)に基づいて試算したところ、次のようになりました。
1間=7尺(1尺:29.9cm)=約2.1m
3×5間=約66㎡
向井さんは基肄城の倉庫も含めた概算値として「六〇平方㍍」と表記されたのかもしれません。いずれにしても、向井さんの「通常の郡衙倉庫が三〇平方㍍であるのと比べても大きく、特に大野・基肄城で採用されている三×五間の総柱礎石建物は六〇平方㍍とひときわ大きい。」という指摘は示唆的です。(つづく)
(注)
①向井一雄『よみがえる古代山城』吉川弘文館、2017年。
②小西龍三郎・入佐友一郎・下原幸裕・大淵博文「大野城増長天地区の建物」『大宰府の研究』(大宰府史跡発掘五〇周年記念論文集刊行会編)、高志書院、2018年。