古田武彦一覧

第100話 2006/09/30

九州王朝の「官」制

 第97話「九州王朝の部民制」で紹介しました、大野城市出土の須恵器銘文「大神部見乃官」について、もう少し考察してみたいと思います。
 古田先生が『古代は輝いていたIII−法隆寺の中の九州王朝−』(朝日新聞社)で指摘されていたことですが、法隆寺釈迦三尊像光背銘中の「止利仏師」の「止利」を、「しり」(尻)あるいは「とまり」(泊)と読むべきであり(通説では「とり」)、地域名あるいは官職名であるとされました。後に、同釈迦三尊像台座より「尻官」という墨書が発見され、この古田先生の指摘が正鵠を射ていたことが明らかになるのですが(『古代史をゆるがす真実への7つの鍵』原書房参照)、尻官が九州王朝の官職名であり、「尻」が井尻などの地名に関連するとすれば、大野城市出土の須恵器銘文「大神部見乃官」の「見乃官」も地名に基づく官職名と考えられます。そうすると、九州王朝は6〜7世紀にかけて「○○官」という官制を有していた可能性が大です。
 このように「尻」や「見乃」部分が地名だとすると、第97話で述べましたように、久留米市の水縄連山や地名の耳納(みのう)との関係が注目されるでしょう。この「地名+官」という制度は九州王朝の「官」制、という視点で『日本書紀』や木簡・金石文を再検討してみれば、何か面白いことが判発見できるのではないでしょうか。これからの研究テーマです。
  ところで、昨年5月より始めたこの「洛中洛外日記」も、今回で100話を迎えました。これからも、マンネリ化しないよう、緊張感や臨場感、そして学的好奇心を刺激するような文章を綴っていきたいと思います。読者の皆様のご協力と叱咤激励をお願い申し上げます。


第96話 2006/09/01

祝・傘寿、古田武彦先生
 
この8月8日、古田先生は傘寿、80歳を迎えられました。心よりお祝い申し上げたいと思います。誕生日当日、古田先生は屋島調査旅行の最中。木村賢司さん
の心配りでバースデイケーキが用意されたとのこと。ローソクを吹き消す古田先生の写真を拝見しましたが、めっきりと白髪が増えられていることに、あらため
て気づきました。
 思い起こせば、わたしが古田先生に初めてお会いしたのは、茨木市で行われた市民の古代研究会主催の講演会でした。その時、ちょうど先生は還暦を迎えら
れ、皆でお祝いしました。あれから20年が過ぎていたのでしたが、そのおり先生の傍におられた関西の方々の多くは鬼籍に入られ、あるいは離反され、気がつ
いてみると、残っているのはわたしだけとなりました。しかし、木村さんのような新たな人々が、また先生の周りを幾重にも取り囲んでおられます。

    今、わたしは次の漢詩の一節を思い起こしました。
 
   年々歳々、花相似たり。
   歳々年々、人同じからず。
 
   なお、『古代に真実を求めて』10集は「古田先生傘寿記念特集号」にしたいと考えています。具体的な企画立案はこれからですが、皆様のご協力をお願いいたします。
    古田先生のご長寿を祈念いたします。


第81話 2006/06/04

祝・創刊『なかった−真実の歴史学−』

 古田先生渾身の一冊が創刊されました。『なかった−真実の歴史学−』(ミネルヴァ書房、2200円+税)です。この新雑誌は年二回発行される予定ですが、新東方史学会設立以来、最初の事業となります。「直接編集古田武彦」と銘打たれたとおり、この新雑誌創刊と編集にかける古田先生の情熱と労力は尋常ではありませんでした。それだけに、今回の創刊を心よりお祝いしたいと思います。そして何よりも、古田ファンや古田学派の全ての人々に読んでいただきたいと願っています。
 内容は下記のとおり、豪華絢爛。子供向けのマンガや連載小説、学界批判、古代通史、オロチ語辞典、中国語訳メッセージと、古田史学のエッセンスが満載です。定期購読のお申し込み(代金は宅配便による着払い方式)は次の通り。

ミネルヴァ書房 編集部(田引・たびき)
 電話075−581−5191
 FAX075−581−8379

【創刊号目次】
序言 古田武彦
連載 古田による古代通史 第一回 古田武彦
学界批判 九州王朝論−−白方勝氏に答える 古田武彦
研究発表 『大化改新詔の信憑性』(井上光貞)の史料批判 古田武彦
連載 敵祭−−松本清張さんへの書簡 第一回 古田武彦
中言 古田武彦
論文・エッセイ
「随筆」について 安藤哲朗
 明日を拓く「古田史学」−−新東方史学会発足に期待 北村明也
『國体の本義』批判の今日的意義 藤沢徹
 条里制の開始時期 水野孝夫
遺稿 「和田家文書」復刻版発行について 藤本光幸
読者から 三つの問い 宮崎宇史
読者へ 若き研究者への回答−−宮崎宇史さんへ 古田武彦
連載 「心」という迷宮−−漱石『心』論 前編 田遠清和
連載 ちくしの女王「ヒミカ」 第一回 酒井紀年
予告編 太陽の娘ヒミカ 古田武彦監修・深津栄美作・おおばせつお画
連載 オロチ語−−簡訳ロシア語=オロチ語辞典 松本郁子訳
末言 古田武彦
中国語訳(序・中・末言)


第61話2006/02/04

「万世一系」の史料批判

 「学問はナショナリズムに屈服してはならない。」「日本国家のナショナリズムの欲望によって『歴史の真実』を曲げること、これは学問の賊である。」「学問は政治やイデオロギーの従僕であってはならない。『歴史の真実』を明らかにすることと、現代国家間の政治的利害を混同させてはならない。そのような『混同の扇動者』あれば、これに対してわたしたちは、ハッキリと『否(ノウ)』の言葉を告げねばならぬ。それがソクラテスたちの切り開いた、人間の学問の道なのであるから。」

 以上は古田先生の言葉です(『「君が代」、うずまく源流』新泉社・1991年)。昨今問題となっている皇室典範の改正について、「諮問会議」やら御用文化人、御用学者の跋扈ぶりは目に余るものがあると言ったら、はたして言い過ぎでしょうか。不遜を承知で言わしていただければ、こうした問題は世界の人々の面前で、広く学問的に歴史的に論議を尽くして合意形成をはかるべきテーマであるように思います。一内閣の意向や功名心でリードするべき問題とは思われません。
 そのような中で、皇位継承の根元的な問題の一つである「万世一系」について、古田先生が講演されることは、まことに時宜にかなったものです。古田史学の会では、来る2月18日(土)、大阪市の中央電気倶楽部において古田先生の講演会を開催します。演題は『「万世一系」の史料批判─九州年号の確定と古賀新理論(出雲)の展望─」。天皇家は本当に「男系」なのか等、歴史学的な考察と現代史的意義が語られると思います。多くの皆様のご来場をお願いいたします。ナショナリズムや政治・イデオロギーに屈服しない学問、古田史学の真骨頂が聞けます。


第55話2006/01/04

「ドラゴン桜」
 明けまして、おめでとうございます。
 本年も「洛中洛外日記」をよろしくお願い申し上げます。
 昨年の大晦日は、佐賀県の吉野ヶ里温泉へ母と二人で行き、のんびりと湯につかりました。実家のある久留米市から西鉄バスで吉野ヶ里温泉まで行ったのです
が、温泉の最寄りのバス停は「東目達原」と言い、「筑紫米多の国造」(『先代旧事本紀』)など古代史上でも有名な場所です。その一つ久留米寄りのバス停は
「防所」(ぼうじょ)という名称で、これも古代の防人の駐屯地に由来する名称とされています。この他にも興味深い名称のバス停があり、なかなか楽しい「バ
ス旅行」でした。

 温泉以外にはあまり外出もせず、家でゴロゴロとテレビを見ていました。なかでも「ドラゴン桜」や「女王の教室」などのドラマの再放送があったので、全編
しっかりと見込んでしまいました。とくに「ドラゴン桜」は偏差値34の落ちこぼれ高校の生徒を東大に合格させるというドラマで、東大入試のための特別教育
や受験戦術など、けっこう面白く見ました。そこで思い出したのが、古田先生の松本深志高校時代のエピソードです。
 古田先生が松本深志高校の新米教師だった時、岡田甫校長の特命により東大への合格率を上げるための対策を検討することになりました。古田先生は東大受験
の過去問を徹底的に調査され、外国語に注目されました。当時、東大入試には外国語として英語とフランス語の選択制となっていました。両問題を比較したとこ
ろ、英語はやたら難しいがフランス語は基礎的な問題で簡単であることを発見されたのです。そのことを岡田校長に報告し、深志高校にフランス語課を設立し、
東大入試にはフランス語で受験する方針をとることにしました。そして、その成果が出て、同校の東大進学率は向上したとのこと。
 この他にも、とても東大には合格できないような生徒を苦心して合格させたことなど、いろんなエピソードをお聞きしました。別の機会に紹介したいと思いま
す。もっとも、教え子の方のお話では、通常は古田先生は自由奔放な授業をされたとのこと。どちらも、古田先生らしいなと思いました。


第51話 2005/12/04

『ダヴィンチ・コード』

 『ダヴィンチ・コード』。既に読まれた方も多いかと思いますが、近年世界的ベストセラーになった推理サスペンス小説です。わたしの勤務先には「社長室図書」というコーナーがあり、社長が読んだ本で社員にお奨めのものが自由貸出になっているのですが、そこに『ダヴィンチ・コード』があったので、最近読んでみました。うわさに違わず面白い。一気に読み終えたのです。通底するテーマとして古代キリスト教史が流れている本で、古田先生が研究されている「トマスの福音書」なんかも、ちらっと登場します。そして、読んでいるうちにキリスト教史の勉強にもなるという本でした。
 マグダラのマリアも扱われているので、さっそく木村賢司さんや西村秀己さんらにも紹介したのですが、西村さんからはメールで感想が寄せられ、面白いが真犯人がすぐにわかって、推理小説としてはいまいちという辛口のコメント。木村さんは水野代表にもこの本のことを教えられたようで、水野さんから電話で、古田先生にはもう紹介したのかとの質問。まだですというと、水野さんから紹介することになりました。その後、水野さんからメールが届き、古田先生は既に読んで持っているとのこと。先生の読書量とその幅の広さにはおどろきました。
 人間の好奇心は棺桶に入るまで留まるところを知らない、とは古田先生の言葉。先生ご自身にぴったりの言葉だなあと、あらためて思った今日でした。そして、今日から京都は本格的な寒さを迎えました。インフルエンザの予防接種も昨日済ませましたので、年末まで古代史の研究と仕事に頑張るぞ、と寒さに震えています

バチカン・ピエタ像の謎 木村賢司(古田史学会報61号)

マリアの史料批判 西村秀己(古田史学会報62号)


第33話 2005/10/06

日本思想史学会で古田先生が研究発表

 わたしは職業柄、自然科学系の学会(繊維学会・他)によく出席しますが、古田先生の紹介もあり、人文系の日本思想史学会の会員でもあります。そして、恐れを知らないというか、素人の大胆さというか、一昨年は筑波大学で二倍年暦を、昨年は京都大学で九州年号の研究発表をしました。
 筑波大学の時は、人文系の学会での初めての発表でしたので、かなり緊張しました。発表前日の夜はホテルで何度も発表の練習をしましたし、質疑応答のイメージトレーニングも繰り返したものです。二回目の京都大学では自宅から会場が近いし、九州年号研究に関しては自信もありましたので、余裕を持って発表できました。ただ、聴講されていた木村賢司さん(本会会員、豊中市)の感想としては、「今までになく、怖い顔して発表していた」とのことでした。
 今年の日本思想史学会は東京大学駒場キャンパスで開催されますが、そこで古田先生が研究発表されます。関東地域の方は是非聞きに行かれてはどうでしょうか。学会独特の雰囲気を経験されるのも面白いかと思います。なお、わたしは諸般の事情で、今回は欠席します。日時や会場は次の通りです。

〔2005年度日本思想史学会大会〕
日時 10月29日(土)13:00〜17:00
   ○シンポジウム「転生する神話─『日本思想史』は描きうるか」
   10月30日(日)9:30〜17:00
   ○研究発表・パネルセッション
会場 東京大学駒場キャンパス 教養学部13号館

〔古田先生の研究発表〕済み
第2日 10月30日(日)午前9:30〜10:00
テーマ 「大化改新の信憑性について(井上光貞氏)」の史料批判
会場 第一会場 2階1321教室


第32話 2005/10/01

新東方史学会会長に中嶋嶺雄氏

 新東方史学会立ち上げの講演会(9月24日、京都市・アヴァンティホール)にて、新東方史学会の役員・事務局人事が発表されました。会長には元東京外語大学学長で秋田に新設された国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏が就任されました。副会長には、荻上紘一氏・佐々木正峰氏・宮島成壽氏の三名、事務局に鴨下武之氏(多元的古代研究会)・高木博氏(東京古田会)が就任されました。会計は高木氏が兼任されます。
 創立にあたり、古田武彦氏から次の「宣言」が発表されましたので、転載します。

  宣言 ─新東方史学会、設立のために─

 誰も知らぬ夜、歴史の転換が迫っている。
 幾千万年、人類は「進化」に「進化」をつづけてきた。その間、数十億、数百兆の動物や植物を殺し、自己自身すなわちおびただしい人間を殺しつづけて今日に至った。宗教も国家も、それをとどめるにはあまりにも微力であった。
 果たしてそのような生物、人間という名の生物はこの地上に生きつづける値うちがあるのか。エジプトにいたというスフィンクスは、地球の一隅でそれを問いつづけている。
 しかし、ためらう必要はない。必要なものは「知」である。人間とは何者か。そのなしてきたことを知り抜くことである。その中に転換の鍵がある。「知識だけでは。」「もっと他(ほか)のものが。」など、あらゆる雑音に迷わされず、知ること、知り抜くこと、この点が、その一点のみが歴史の転換の起爆剤となろう。「知の凝集」という一点から、全宇宙をとどろかす一大爆発のエネルギーが誕生するのである。
 わたしは、それを歴史の中に見た。人間のなしてきたことのすべて。もっとも広い意味でそれが歴史だ。その探究である。もう一度言う。「人間は何をしてきたか」これを知ることである。それが創造の出発だ。
 そのさい、たった一つの条件がある。「あらゆる既成の}わく¯を}わく¯とせぬこと。」これである。すべての知識に「盲従」せぬことだ。それなしには、知識という名の一大爆発はおこりえない。絶対に誕生しえないのである。
 今、日本はその転換の扉の前にいる。その扉を静かに押すこと、わたしたちがなすべきこと、なさねばならぬことはこの一点にすぎない。
 それが今回の「新東方史学会」の創立である。わたしはようやく七十九歳に達した。

                      ─二〇〇五・八月二十日記了─
    古田武彦 拝


第26話 2005/09/03

『新東方史学会』立ち上げ準備進む

 古田先生が提唱され、準備が進められてきた「新東方史学会」も立ち上げに向けて最後の追い込みが精力的に続けられています。先日も、本会水野代表とミネルヴァ書房杉田社長らで古田先生を交えて9月24日の京都講演会(アバンティホール)の打ち合わせが行われました。
 「新東方史学会」の会長・副会長人事も固まりつつあるようですし、事務局も東京古田会と多元的古代研究会の関東勢で受け持ってもらえることになりました。関西ではわたしが新雑誌『古田学』(年2回発行・ミネルヴァ書房)の編集事務局員としてお手伝いすることになりました。もっとも実際は古田先生とミネルヴァ書房が企画や実務を担当されることになりますが。
 9月24日の京都講演会では参加者に抽選で古田武彦著作集が5名の方に進呈されます。結構重い本なので当日は抽選のみ行い、本は後日発送となります。また、学生は参加費無料ですので、ふるってご参加下さい。
 講演では「靖国問題」にも言及されますので、古田先生に参考にしていただこうと、小林よしのり著・画『靖国論』(幻冬舎)を進呈しました。この本はなかなかの力作ですので、賛否は別としても一読の価値ありです。おそらく古田先生もこの『靖国論』に講演で触れられることと思います。ちなみに、古田先生は小林よしのり氏の『戦争論』など一連の主著作(ゴーマニズム宣言関連)を読んでおられます。小林氏の作品において古代史は一元史観で、なんとも脆弱なのですが、近現代史はよく勉強されており、賛否はともかく参考になります。
 9月17日(東京)、24日(京都)の講演会へ、是非お越し下さい。

古田武彦氏から、新東方史学会創立の「宣言」が発表されました


第16話 2005/07/31

新東方史学会の立ち上げ

 この度、古田先生は新たな事業を推進するために「新東方史学会」を立ち上げられることになりました。その新規事業とは次の三点です。

(1)雑誌『古田学』(仮称、年2回)の創刊。ミネルヴァ書房から発刊されることになっています。古田先生が編集責任者。
(2)小規模な学会「国際人間観察学会」を設立し、学術誌(全て英文論文、年1回)を発行。全世界へインターネットでも発進します。同学会事務局の設置。
(3)インターネットの取り組みとして、古田先生から全国へのメッセージを発信。

以上の事業を推進する統括組織として新東方史学会が立ち上げられます。9月17日(東京)、24日(京都)には立ち上げのための講演会を開催します。なお、新東方史学会の役員人事などは両講演会にて発表されます。多くの皆様のご来場をお願い申し上げます。
 古田先生の、おそらくは生涯の学問的事業の総決算として今回の立ち上げを企画されたものと思われますが、古田先生を応援する団体(東京古田会、多元的古代研究会、古田史学の会)も全面的に協力していきます。詳細は順次お知らせいたします。

古田武彦氏から、新東方史学会創立の「宣言」が発表されました

第32話 2005/10/01 新東方史学会会長に中嶋嶺雄氏 へ


第8話 2005/07/01

古田先生『君が代』を語る

 先日、ミネルヴァ書房の杉田社長が拙宅に見えられました。主な要件は7月30日(土)に京都市の商工会議所会館で開催予定の古田先生の講演会についてでした。杉田社長は古田史学の良き理解者でもあり、古田先生の九州王朝説に基づいた『太宰府は日本の首都だった』(内倉武久著)などの好著も多数出版されています。更には古田先生による『卑弥呼(ひみか)』という本の出版も企画されており、楽しみです。 ミネルヴァ書房ではこれまで同社社員や関係者を対象に、少人数による古田先生の話しを聞く催しが開かれていたそうですが、もっと多くの人に聞いていただこうと、講演会を開催することにしたそうです。テーマは初めての人にも興味を持ってもらえるように「君が代」を取り上げることに。
 ただ、古田史学の初心者の人にもわかりやすく、ということで二部形式にして、一部では古田先生との対談形式による「入門編」とし、二部は古田先生の講演とするそうです。そこで、一部の対談の相手としてわたしがご指名に預かったというわけです。300名が入る会場ですし、初心者の人の気持ちになって先生に質問しなければならず、今から心の準備をしているところ。古田先生の『「君が代」は九州王朝の讃歌』(新泉社)などをもう一度読み返しています。 なお、7月30日の講演会の詳細が決まり次第、当ホームページでお知らせいたしますので、多数ご来場下さい。

 古田氏のこれまでの「君が代」に対するおもな見解です。
参考は下記の通り。
君が代の源流 「君が代」は卑弥呼(ひみか)に捧げられた歌(2000年  1月12日)
日の丸」と「君が代」の歴史と自然認識について(1999年 8月 8日)

古賀氏の論考としては下記の通り
「君が代」の「君」は誰か (1999年10月11日  ) 会員の論考もあります。
九州旅行雑記 今井俊圀

本は下記どおり、索引を参照
 市民の古代 別巻3 『「君が代」、うずまく源流』 新泉社
 市民の古代 別巻2 『「君が代」は九州王朝の讃歌』 新泉社
『日本の秘密−「君が代」を深く考える』 五月書房


第6話 2005/06/24

中嶋嶺雄さんと古田先生

 一昨年、松本市へ講演に呼んでいただいた時、前日に市内を案内していただけることになりました。そこで私は松本深志高校の見学を希望し、古い校舎の中まで案内していただきました。同校は戦後間もなく古田先生が教鞭を執られた学校です。青年教師、古田先生と最年長の教え子とでは3歳しか歳が違わなかったそうです。 私が訪れた時、ちょうど松本深志高校では学園祭「とんぼ祭」が近づいており、生徒さんたちが教室で準備に追われていました。
 このとんぼ祭で思い出されるのが、教え子のお一人である中嶋嶺雄さん(大学セミナーハウス理事長・国際教養大学学長・東京外国語大学前学長)による次の回想です。

「とんぼ祭といえば高校2年の時の社会科学研究会の展示を思い出す。1954年のこと、風潮として高校生の社研といってもみんなマルクス・ボーイ。ソ連を礼賛し、人類の救済はモスクワから来るといった観の展示がしてあった。 そこへ国語と日本史担当の古田武彦先生が入ってきて、『この展示はおかしい。ソ連の社会主義がそんなにバラ色かどうかはスターリンの死後、銃殺されたベリアの事件でも明らかではないか』と問いかけたのである。生徒たちは古田先生のプチ・ブル性を激しく批判した。すると先生は床に車座になって、理路整然と生徒たちと語りはじめた。

 今日では日本古代史の権威になられた先生の立派な姿は、後の大学紛争に身を置かねばならなかった時、どこかで思い出を重ねていたように思う。」 古田先生は青年の頃から熱血漢だったんだと、思わず納得してしまうエピソードではないでしょうか。