古田武彦一覧

第388話 2012/02/24

鈴鹿峠と「壬申の乱」

 先日、仕事で伊賀上野までドライブしました。京都南インターから新名神の信楽インターで降りるルートを採るつもりでしたが、カーナビの推奨ルートが京都南インターから新名神で亀山まで行き、そこから東名阪国道で伊賀上野まで戻るという、何とも遠回りを指示したものですから、そちらの方が早いのだろうと思い、結局、一日で鈴鹿山脈を2往復計4回越えることとなりました。
 これはこれで良い経験となりましたが、その時、脳裏をよぎったのが「壬申の乱」の天武の吉野からの脱出ルートでした。ご存じのように、『日本書紀』は天武紀前半の第二八巻まるまる一巻を「壬申の乱」の記述にあてています。日時や場所など他の巻とは比較にならないほどの詳細な記述がなされていることから、『日本書紀』に基づいて多くの歴史家や小説家が壬申の乱をテーマに論文や小説を書いています。
 他方、古田先生は壬申の乱については永く本に書いたり、講演で触れたりはされませんでした。ある時、古田先生にその理由をおたずねしたところ、「『日本書紀』の壬申の乱の記述は詳しすぎます。これは逆に怪しく信用できません。このような記述に基づいて論文を書いたり話したりすることは、学問的に危険です。」と答えられました。このときの先生の慎重な態度を見て、「さすがは古田先生だ。歴史研究者、とりわけ古田学派はかくあらねばならない」と、深く感銘 を受けたものでした。
 こうした古田先生の歴史家としての直感がやはり正しかったことが明らかになりました。それは、馬の研究家である三森堯司さんの論文「馬から見た壬申の乱 -騎兵の体験から『壬申紀』への疑問-」(『東アジアの古代文化』18号、1979年)によってでした。
 三森さんは『日本書紀』壬申の乱での天武らによる乗馬による踏破行程が、古代馬のみならず品種改良された強靱な現代馬でも不可能であることを、馬の専門家の視点から明らかにされたのです。すなわち、『日本書紀』に記された壬申の乱は虚構だったのです。この三森論文により、それまでのすべての壬申の乱の研究や小説は吹き飛んでしまったのでした。もちろん、大和朝廷一元史観の学者のほとんどは、この三森論文のインパクト(学問的提起)に未だ気づいていないか のようです。
 その後、古田先生が九州王朝説・多元史観に基づいて、名著『壬申大乱』(東洋書林、2001年刊)を著されたのはご存じの通りです。舗装された道路を自動車での鈴鹿越えを繰り返しながら、『日本書紀』の「壬申の乱」が虚構であることを改めて実感した一日でした。


第337話 2011/09/10

畢生の書『俾弥呼(ひみか)』

 待望の一書が出ました。古田先生の新著、ミネルヴァ日本評伝選『俾弥呼(ひみか)』です(ミネルヴァ書房、2800円税別)。1971年に『「邪馬台国」はなかった』で衝撃の古代史デビューを飾った古田先生の「畢生の書」と、『俾弥呼(ひみか)』の「おわりに」で自ら書かれているように、古田史学のみならず日本古代史研究の歴史に残る一冊となりました。
 内容は、初めて古田史学に触れる読者にも理解できるよう、自らの学説の解説や、研究者にとっても貴重な「学問の方法」を明確に意識されたものとなってい ます。また、俾弥呼のことだけにとどまらず、倭人伝研究の精髄を縦横無尽に展開されていることは、その目次を見ただけでも明確です。
 古田学派の研究者にとって、同書は『「邪馬台国」はなかった』とともに必読(熟読玩味)の一書といえるでしょう。80歳を過ぎて、なおこのような名著を世に出される古田先生に敬意を表すると共に、心から同書の刊行をお祝いしたいと思います。
 なお、『俾弥呼(ひみか)』発刊と『「邪馬台国」はなかった』刊行40周年を記念して、古田先生による記念講演会「俾弥呼とは誰か」が、10月8日(土) 京都教育文化センター(京都市左京区・定員350名。資料代500円。13時30分~16時)で開催されます(主催:ミネルヴァ書房)。記念すべき1日と なるでしょう。是非、ご参加下さい。


第333話 2011/08/14

靖国神社参詣

 先週の8月9日、仕事で市ヶ谷に行った折、少し時間ができましたので猛暑の中、靖国神社を初めて訪れ参詣しました。歴史の研究調査で 日本各地の神社や仏閣を訪問参詣する機会が多いのですが、靖国神社だけは今まで行ったこともなかったのです。古代史とはあまり関係がなさそうということが、その理由でしたが、 日本思想史学や近代史の問題として、あるいは明日の終戦記念日に象徴される現代の問題と最も深く関わっている神社なのですから、どうしても一度は行かなければならないとも感じていたのでした。
 わたしが二十代の頃は、ご他聞にもれず「戦後民主教育」の影響により、靖国神社といえば「右翼」「軍国主義」の象徴という感覚と、他方、御国のために若くして戦没された特攻隊員のことを思うと粗末には扱えないなといった複雑な、あるいは宙ぶらりんの認識に留まっていました。
 その後、古田先生に歴史学や思想史学を学び、少しずつ認識を深め、かつ改めたのですが、決定的認識の変化をうながされたのが、古田先生の論文「靖国参拝の本質ーー「結恨横死」論」(『古田史学会報』46号、2001年10月)でした。
 同論文中の「A級戦犯。わたしは『この人々の霊を、断乎、靖国神社に祀るべし。』そう考える。なぜなら、右にあげたように『結恨横死の霊』こそ祀らるべきなのである。幸福な人生を遂げ、衆人の賛美の中にその十全の人生を過ごした人々より、この『結恨横死』の人々こそ祀らるべきだ。それが真実の宗教である。」や「天皇の任務。近年、『靖国参拝』問題が首相に関して語られること、不審だ。なぜなら、誰人よりも、この参拝をなすべきは、天皇その人である。靖国に祀られている人々は『天皇の名によって』戦い、死んだ人々だからである。外国の批議や非難を恐れ、参拝したり、中止したりする、いわゆる『A級戦犯の合祀』で、また態度を変える。醜い。」とする古田先生の指摘は衝撃的でした。
 あるいは、「『A級戦犯』というのは、政治だ。これに対し、『祭祀』は宗教である。政治を宗教に優先させる。これは天下の邪道だ。近代国家の傲慢である。 宗教は、政治の外、政治の上に立つ。これが人類史の到達してきた道標である。」という思想史学的考察には、さすがは古田先生だと思いました。
 これらの問題は人それぞれ意見が異なると思いますが、人類の歴史的普遍性を持った考察と思想性の観点が必要と思われ、古田先生の論文はとても示唆的です。


第329話 2011/07/31

小松左京さんと古田先生

SF文学の巨匠、小松左京さんが亡くなられました。『日本沈没』を初め数々の名作を遺されま したが、オールド古田ファンなら、小松さんが古田先生の支持者であったことをご存じのことと思います。文学界にも古田ファンは少なくありませんが、司馬遼 太郎さんのエッセイにも古田先生は登場しますし、特に小松さんは古生と懇意にしておられたようです。
天才的な作家と歴史家とは相通ずるものをお互いに感じておられたのでしょう。その小松左京さんと古田先生との対談が『邪馬一国への道標』(講談社、 1978年刊)に収録されています。同書は今では古書店でも入手困難ですから、新しい古田ファンはご存じの方が少ないかもしれません。
1977年10月6日に行われたこの対談は、予定されていた2時間の倍近くの時間が過ぎたとのことで、「夢は地球をかけめぐる−小松左京さんと語る−」 というテーマで収録されています。内容は、古代における地球規模の人類の移動と交流についてで、次のような内容で対談が始まります。

小松「今度の本は、ほんとに東アジア古代史の謎の一番チャーミングなところを全部、古田さんにさらわれちゃった、という感じですね」
古田「いや、いや。わたしこそ、小松さんの小説『東海の島』(『最後の隠密』立風書房所収)というのを見せていただいて、びっくりしました。殷末の中国 人が山東半島から倭人たちの島に向う、という発想で、あんなに早く書いておられたとは、全く知りませんでした。」

同書にはお二人の若い頃の写真も掲載されており、感慨深いものがあります。心より、小松左京さんのご冥福をお祈り申し上げます。


第315話 2011/05/01

風評

最近、福島原発事故に関してマスコミなどで、「風評」や「風評被害」という言葉が頻繁に聞かれ ますが、わたしは間違った意味で使われているケースが多いように感じています。風評とは真実ではないこと(デマ)や不確かなこと(憶測)を真実であるかの 如く伝えることであり、風評被害とはそうしたデマにより蒙る被害のことと私は理解していますが、間違っているでしょうか。
ですから、風評や風評被害を防ぐためには、真実を発表することと、何が真実かを見極める力をつけることしかありません。そのために「学問」があるので す。ところが、福島県の学校が独自で測定した放射線量を発表すると、「風評被害を招くから余計なことはするな」と圧力がかかったり、児童を放射線被曝から 守るために校庭の汚染し た土を除去すると、本来なら率先して子供達を守らなければならないはずの文部科学大臣から「冷静に対応しろ」と横やりが入る始末です。
この国では、真実を発表したり真実と良心に基づいて行動すると、「風評」「風評被害」という言葉で非難される時代になったようです。これはとても残念なことですし、何よりも福島県の子供達がかわいそうです。
実はこうした風景をわたしたちは以前から見てきました。それは、今から40年前に『「邪馬台国」はなかった』を発表された古田先生が、その後「邪馬台 国」シンポジウムから排除されたり、学界では古田説はなかったこととして扱われたり、わたし自身も目撃しましたが、ある古代史の学会での質問時間のとき、 発言を求めて挙手し続ける古田先生を司会者が公然と無視するなど、古代の真実を訴え続ける古田先生に対してのひどい扱いの数々です。
それでも屈しない古田先生に対して、マスコミも利用した偽作キャンペーンを行うなど、恐らく大和朝廷一元史観の学者たちにとって、古田先生の存在や発言は「風評」や「風評被害」のごとく扱われ、恐れられているのではないかと思います。
真実や真実を語る者を「風評」「風評被害」として葬り去ること、それは一時的には「有効」な手段に見えるかもしれませんが、決して成功するものではあ りません。学問研究を通じて真実を解明し訴えていく、これこそ「古田史学の会」や古田学派の使命であり、そのことに生涯をかける人間はこれからも絶えるこ となく生まれ続けるからです。 

第299話 2011/01/09

ホームページが文字化け

 新年の御挨拶を申し上げます。
 新年が古田史学や皆さまにとって画期の良き一年となりますように。

 さて、年末から古田史学の会ホームページが文字化けし、皆さまにご心配とご迷惑をかおかけし、お詫び申し上げます。契約しているプロバイダーのシステム改訂に伴うトラブルのようで、現在はほとんど復旧しているとのことですが、一部では依然として文字化けが続いているようです。インターネット担当の横田さんも全力で対応されており、今しばらくお待ち下さい。といっても、文字化けしている方々には読めませんが。(文字化けしている方は、F5キーを押せば一時的に復旧いたします。)

 昨日は大阪で恒例の古田史学の会新年賀詞交換会と懇親会を開催し、古田先生に最新の発見について御講演いただきました。本年、85歳になられますが、お元気なお姿に接し、多くの参加者の皆さまも喜んでおられました。講演内容もバイブル創生神話の男女神についての発見など、画期的なものでした。本当にすごい先生です。
 賀詞交換会には東京から多元的古代研究会和田事務局長様を始め遠方からの参加者も多く、新年の幕開けに相応しい和気藹々としたものでした。
 わたしの年頭の抱負としては、洛中洛外日記の執筆と、『古田史学会報』への前期難波宮研究論文の連載を続けたいと考えています。本年も皆さまのご指導とご協力をお願い申し上げます。


第280話 2010/09/12

ドラッカーと古田武彦

 最近、仕事上の必要性からピーター・F・ドラッカーの著作やその解説書を集中して読んでいます。ご存じの通り、ドラッカーは「経営学の父」「20世紀を代表する知の巨人」と称されている人物ですが、その難解な表現や概念に悪戦苦闘しながら読み進めています。
 難解ではあるのですが、その論理性や学問の方法が古田先生から教えられたフィロロギーの手法と相通じるものがあり、読んでいて大変波長があうのです。特
にドラッカーは歴史学者でもあり、その深い洞察力には驚かされ、勉強になります。もっと早くから読んでおけばよかったと少なからず後悔していますが、今か
らでも遅すぎることはないと毎日のように貪り読んでいます。
 そんな中、一昨日は『知の巨人ドラッカー自伝』(日経ビジネス人文庫)を読み終えました。それでドラッカーと古田先生との面白い共通点があることを知り
ました。たとえば、古田先生の初期三部作『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』(朝日新聞社刊。ミネルバ書房から古田武彦コレ
クションとして最近復刻されました)は有名ですが、ドラッカーにも初期三部作というものがあるそうです。『経済人の終わり』『産業人の未来』『会社という
概念』の3冊です。
 中でも、ドラッカーの処女作『経済人の終わり』は、台頭するファシズムや全体主義を批判し、ナチスドイツとソ連が手を組むと予想していたため、左翼や共
産主義者の妨害にあい出版の引受先がなかなか見つからなかったとのこと(1939年の出版の半年後、独ソ不可侵条約が締結され、ドラッカーの予言は的中し
ました)。  
 古田先生の親鸞研究の名著『親鸞思想』も真宗教団の圧力により、当初出版予定していた京都の某書肆からは出版予告までしておきながら出版されなかったと
いう歴史があり、この点もドラッカーとの共通点の一つでしょう(『親鸞思想』は後に冨山房から出版され、明石書店から復刻されました)。
 ドラッカーの信望者を「ドラッカリアン」とよぶそうですが、それに習えば私は「フルタリアン」ですが、もうすぐ「ドラッカリアン」にもなりそうな予感を持ちながら、酷暑の京都でドラッカーを読んでいます。


第253話 2010/04/11

古田武彦初期三部作復刻

ミネルヴァ書房より待望の復刻が、「古田武彦・古代史コレクション」と銘打ってスタートしました。古田ファンからは「初期三部作」と呼ばれている、『「邪馬台国」はなかった』 『失われた九州王朝』 『盗まれた神話』の三冊がまず復刻されました。次いで『邪馬壹国の論理』ここに古代王朝ありき』『倭人伝を徹底した読む』の復刻が予定されています。
特に初期三部作は古田史学のデビュー作と言うだけでなく、その学問の方法を徹底して重視した論証スタイルに多くの古代史ファンが引きつけられました。 1971年に出された『「邪馬台国」はなかった』が古代史学界に与えたインパクトも強烈でした。わたしも、この本を書店で立ち読みして、「これは今までの邪馬台国ものとは違う」と感じ、買ったその日の内に読了し、是非とも著者に会ってみたいと強く願うようになりました。まさに、わたしの人生を変えた一冊となったのです。
朝日新聞社から出版された三部作は角川文庫、朝日文庫と文庫化されましたが、その後は長く絶版となり、書店に並ぶこともなく残念に思ってきました。恐らくは、この度の復刻に対し、古代史学界からは陰に陽に圧力や嫌がらせが出版社になされたことと思いますが、それらをものともせずに復刻に踏み切ったミネルヴァ書房に感謝したいと思います。是非、皆さんのご購入と近隣の図書館への購入要請を行っていただければと思います。
特に初期三部作はどちらかと言えば古田先生の著作の中では難しい本なのですが、古田史学の方法論が繰り返し論述されており、古田史学ビギナーの方々には 一読再読をお勧めします。この古田先生の学問の方法論が良く理解されていないと、古田史学の「亜流」と称されている似て非なる諸説との区別がつかなくなり ます。また、今回の復刻版には最新の古田説による追記もあり、こちらも貴重です。重ねて、皆さんの講読をお奨めします。


第217話 2009/08/01

『古田史学会報』93号の紹介

 『古田史学会報』93号の編集が終わりました。本号は古田先生の論文「仏像論」が掲載されています。古田先生ならではの斬新な切り口で、仏像への思想史的考察が深められた珠玉の一編です。
 今回、初めての試みとして、大下さんと正木さんとの「白雉二年」奉納面をテーマとしたインターネットメールの交信記録を掲載しました。研究者同士の素早い情報交換とアイデアのやりとりが魅力です。ネットによる「共同研究」ともいうべきもので、新しい研究スタイルの可能性さえ感じさせます。

『古田史学会報』93号の内容
○仏像論  古田武彦
○新刊の紹介『なかった 真実の歴史学』第六号
○壬申の乱の謎  千歳市 今井俊圀
○伊倉 10 ─天子宮は誰を祀るか─  武雄市 古川清久
○連載小説「彩神」第十四話 梔子(1) 深津栄美
○古田史学の会 第十五回定期会員総会の報告
○「白雉二年」奉納面メール談論  豊中市 大下隆司/川西市 正木 裕
○古田史学の会 関西例会のご案内
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○〈DVD〉「東京古田会News」のご紹介
○『古田史学会報』原稿募集


第203話 2008/12/31

2009年新年賀詞交換会済み

 202話を書き終わってから気がついたのですが、孝徳紀の白雉改元儀式はかなり詳細に記述されています。当初は、九州王朝系史書をからの盗用かなと考えていたのですが、もしかすると孝徳自身が九州王朝の臣下の一人として列席していたのではないかと思うようになりました。

   場所も大阪ですから大和からもそう離れてはいませんし、『日本書紀』の記載するところでは、孝徳の宮殿を難波長柄豊碕宮としていますから、おそらく前期難波宮の北方に位置する長柄に自らの宮殿を構えていたのではないでしょうか。
  九州王朝による白雉改元の儀式が完成間近の前期難波宮で執り行われることになり、孝徳は臣下ナンバーワンとして列席した可能性大です。ですから、孝徳や「大和朝廷」の官僚達はその見事な宮殿と絢爛たる改元儀式を実際に参加し、実見したため、『日本書紀』に詳しく掲載できたのではないでしょうか。ただし、主客を置き換え、前期難波宮を自らの宮殿であるかのような記述にして。
    前期難波宮九州王朝副都説は万葉集の史料批判にも有効のようで、このことについてもいつか述べたいと思います。
 さて、2009年1月10日、古田史学の会では古田先生のご自宅近くの向日市物集女公民館にて、古田先生をお迎えして新年賀詞交換会(参加無料)を開催します。詳細は次の通りです。終了後、近くの焼き肉やさんで懇親会(有料、定員あり)も開催します。ちょっと交通の便は不便ですが、古田先生にお会いできる数少ない機会です。ふるってご参加下さい。
    それでは皆さん、良いお年をお迎え下さい。
 
日時 2009年1月10日(土)午後1時〜3時
場所 向日市物集女公民館(向日市物集女中条26)電話075−921−0048
   阪急らくさい口駅 西へ徒歩約13分
※会場はややわかりにくい場所ですので、事前に地図などで調べてからおこし下さい。


第185話 2008/08/14

『奪われた国歌「君が代」』

 待望の新刊、古田武彦著『奪われた国歌「君が代」』が出ました。情報センター出版局刊、1400円+税です。
 カバーの帯に『「君が代」は、本当に天皇を讃えた歌なのか?数奇な運命を辿った「国歌」成立の過程が、隠された「邪馬壱国」「九州王朝」をあぶり出す。独創的異説が絶対的な説得力をもって「定説」を凌駕する。』とあるように、古田史学九州王朝説の真髄が凝縮された一冊となっています。初心者はもとより、研究者にとっても古田史学の再理解を深める上でわかりやすい好著といえるでしょう。
   北京オリンピックの表彰式で「君が代」を聞くとき、この本を読んだ人と、そうでない人との決定的な「落差」を感じさせる、暑い夏、熱い一冊です。


第162話 2008/02/19

古田先生からの朗報

 2月16日の関西例会途中で、木村賢司さんの携帯に古田先生から電話がありました。古田先生は群馬県のとある病院で手術を受けられていたのですが、その手術が大成功だったというものでした。古田先生自らのお電話での報告に、例会参加者は胸をなで下ろしました。例会後の懇親会でも、手術成功を祝って乾杯をしました。『古田史学会報』4月号にも古田先生の寄稿が予定されており、これで益々お元気に活躍されることと思います。
 2月例会の発表は次の通りです。なかでも、竹村順弘さんの報告はミトコンドリアやY染色体の科学的な解説を伴ったもので、非常に参考になりました。定年退職後、中国留学されている会員の青木さんが一時帰国を利用して、例会に参加されるなど、関西例会は参加者や発表者が増えて、回を重ねる毎に充実してきました。
 なお、今回より発表者増加に伴い、発表の事前申請や時間制限(原則30分)などの運用が始まりましたので、ご理解とご協力の程、お願いいたします。

〔古田史学の会・2月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 故郷への手紙(豊中市・木村賢司)
2). 一寸千里の法2(交野市・不二井伸平)
3). 谷本茂氏「古代史研究の方法について」への反論(神戸市・田次伸也)
4). 南米先住民と日本人のDNA比較─ミトコンドリアと染色体(木津川市・竹村順弘)
5). ナゾの写真の史料批判・九州年号─未知の文献3件(相模原市・冨川ケイ子)
6). 岐須美々は蔵耳(大阪市・西井健一郎)
7). 常陸国風土記に見る「天下立評」(川西市・正木裕)
8). 沖ノ島6(生駒市・伊東義彰)
9). 『日本書紀』における帝紀的記事・他(たつの市・永井正範)

○水野代表報告
  古田氏近況・会務報告・八代海の大宮姫伝説・他(奈良市・水野孝夫)