『多元』No.170の紹介
友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.170が届きました。同号には拙稿「『日本書紀』は時のモノサシ ―古田史学の「紀尺」論―」を掲載していただきました。同稿は、古田先生が「紀尺」と名づけた編年方法を解説したものです。それは、中近世文書に見える古代の「○○天皇××年」という記事について、その実年代を当該天皇が実在した年代で理解するのではなく、「○○天皇××年」を皇暦のまま西暦に換算するという編年方法(『東方年表』と同様)です。
当号には『隋書』俀国伝に見える里程記事が短里か長里かをテーマとする論稿三編(注①)が掲載されており、同問題が活発に論議されているようです。こうした真摯な論争・検証は学問の発展には欠かせません。このテーマはすぐには決着がつきそうにありませんが、それは次のような克服すべき二つの問題があるためと考えています。一つは、短里なのか長里なのかを峻別するための史料批判や論証が簡単ではないこと。もう一つは、当時(隋代・唐代)の1里が何メートルなのかという実証的な問題です。
現在の論争は主に前者の史料解釈の当否を巡って行われていますが、わたしは後者の問題をまず検証すべきと考えています。特に『旧唐書』に見える中国々内の里程記事は、1里を何メートルに仮定しても、全ての、あるいは大半の里程記事を矛盾無く表すことが出来ず、実際の距離と乖離するケースが少なくないからです。わたし自身もこの問題に苦慮しています(注②)。従って、本テーマは結論を急がず、各論者の仮説の発展に注目したいと思います。
同誌末尾の安藤哲朗会長による「FROM 編集室」に次の一文があり、体調を崩されているのではないかと心配しています。
「◆人身受け難し(台宗課誦)◆私もあと短期ののち古田先生の忌に従うであろう◆」
洛中より、御快復を祈念しています。
(注)
①「隋書・日本書紀から見えてきた倭国の東進」(八尾市・服部静尚)、「海賦について」(清水淹)、「会報、友好誌を読む」(横浜市・清水淹)。
②古賀達也「洛中洛外日記」2642~2660話(2021/12/21~2022/01/13)〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (1)~(10)〟