古田史学の会一覧

第2話 2005/06/13

和田家文書に使用された美濃紙追跡調査

 昨日は大阪で「古田史学の会」の会員総会と、それに先だって講演会を開催しました。遠くは九州や四国、山陰、関東からもお越し頂き、ありがとうございました。
 講演会では、竹内強さん(古田史学の会会員・岐阜市在住)の「和田家文書に使用された美濃紙追跡調査」がスリリングで圧巻でした。和田家文書に使用された美濃紙に押印された紙問屋の屋号や商標を手掛かりに、岐阜市内の紙問屋街の全戸調査を行ったり、紙の史料館や図書館での調査など、何度も壁に突き当たりながらも、ついにその紙が明治30年から40年の間に製造販売されたことを突き止められたくだりは、思わず拍手喝采したくなるほど興奮しました。
 九年前、わたしが和田家文書調査のため北海道松前町を訪れ、当地の歴史研究者永田富智氏(北海道史編纂委員)に聞き取り調査を行ったとき、永田氏は昭和46年に『東日流外三郡誌』二百〜三百冊を見たと証言され、使用されていた紙は明治の末頃に流行りだした機械織りの和紙とのことでした。この永田証言と今回の竹内さんの調査結果とが見事に一致したのです
永田証言は「古田史学会報」16号と『新・古代学』第4集に掲載しています)。
 「歴史は足にて知るべきものなり」(秋田孝季)を実践された竹内さんの見事な調査報告でした。

他の証言は古田史学会報 をご覧ください。
「平成・諸翁聞取帳」起筆にむけて
  「 平 成 ・ 諸 翁 聞 取 帳 」 東  北 ・ 北 海 道 巡 脚 編 も参照。
 当事者の発言はー津軽を論ず ーを御参照ください.


第1話 2005/06/11

「井真成(いのまなり)異見」

 古田史学の会事務局長の古賀達也です。いつも本会のホームページ「新・古代学の扉」を御覧いただき、有り難うございます。皆様のご愛顧に感謝しまして、新コーナー「古賀事務局長の洛中洛外日記」を連載することにしました。古田史学の会や古田学派内部のホットな話題、古田武彦先生の近況などを書き込んでいきます。ご期待下さい。
 第一話は最近何かと話題になっている「井真成(いのまなり)」についてです。中国で発見された墓誌により「井」さんが遣唐使として中国に渡り、当地で没したことが明らかになったのですが、藤井さんとか○井さんとかが日本名の候補として上げられているようです。他方、「井」という姓が日本に存在することから、文字通り「井(せい)」さんではないかという異見も出されています。古田先生もこの「井」という姓に注目されています。
 電話帳で調べた結果では、熊本県に圧倒的に濃密分布しています。中でも産山村・南小国町・一ノ宮町が濃密です。この分布事実は九州王朝説の立場からも大変注目されるところです。なお、井真成墓誌の読解について古田先生が新説を口頭発表されています(2005年5月22日、東京)。いずれ活字化されると思います。乞うご期待。
 「井」姓の分布表を掲載