シュリーマンが見た日本
お盆休みの読書の最後の一冊として『シュリーマン旅行記 清国・日本』 (1998年、講談社学術文庫・石井和子訳)を読みました。10年ほど前に読んでいた本ですが、昨今の日本社会の食品偽装とか万引き事件などのニュースに接するたびに、昔の日本社会や日本人が持っていた倫理観が、現代では大きく変わってしまったと感じ、もう一度読み直すことにしました。
ご存じの通り、シュリーマンはトロイ遺跡を発見した考古学者として有名で、その著書『古代への情熱』は歴史研究者であれば是非とも読んでいただきたい一冊です。シュリーマンはトロイ遺跡発見の6年前(1865年)に来日しており、その旅行記が『シュリーマン旅行記 清国・日本』です。
シュリーマンは幕末の日本について、考古学者らしい観察力と西洋人としての視点から、その国情を記しています。特に日本人の誠実な倫理観と、他方、宗教心がうすいことを矛盾と感じ、困惑しています。クリスチャンとしてのシュリーマンの持つ「宗教心」と当時の日本人特有の「宗教心」が異なっていたため、 シュリーマンには理解できなかったのかもしれません。日本人の誠実さとして、次のようなエピソードが記されています。
「船頭たちは私を埠頭の一つに下ろすと「テンポー」と言いながら指を四本かざしてみせた。労賃として四天保銭(13スー)を請求したのである。これには大いに驚いた。それではぎりぎりの値ではないか。シナの船頭たちは少なくともこの四倍はふっかけてきたし、だから私も、彼らに不平不満はつきものだと考えていたのだ。(中略)
日曜日だったが、日本人はこの安息日を知らないので、税関も開いていた。二人の官吏がにこやかに近づいてきて、オハイヨ(おはよう)と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、三十秒もその姿勢を続けた。
次に、中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(2.5フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて、「ニッポンムスコ」(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な対応だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら、「サイナラ」(さ ようなら)と言った。」(第四章「江戸上陸」、78~79頁)
「彼ら(役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである。」(第六章「江戸」、146頁)
この他にも日本のことを次のように記しています。
「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」(第四章「江戸上陸」、87頁)
「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では 女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。」(第七章「日本文明論」、167頁)
シュリーマンが今日の日本社会を見たら、その旅行記に何と記すのでしょうか。次のように、また記してくれるでしょうか。
「・・・・この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる。」(第六章「江戸」、126頁)
明日から、またハードワークの日々が続きます。ファンモンの「ヒーロー」を聴きながら頑張ります。