第1640話 2018/04/04

百済伝来阿弥陀如来像の流転(3)

 百済から伝来した創建観世音寺の本尊金銅阿弥陀如来像は白鳳十年(670)の観世音寺完成までどこに安置されていたのでしょうか。百済滅亡が660年ですから、それ以前に伝来したことと思われますから、短くても10年以上はどこかに安置されていたと考えざるを得ないのですが、そのような伝承を持つ寺院などの存在は知られていません。わたしが観世音寺創建白鳳十年説に至ったとき、この問題が脳裏をよぎりました。しかし、よい解決案を見い出せずにきました。
 そのような中、九州歴史資料館で赤司さんからいただいた下原幸裕「〔発掘調査速報〕大野城跡クロガネ岩城門出土の軒丸瓦」(『都府楼』46号、古都太宰府保存協会。2014年)に大野城や太宰府から出土した軒丸瓦を記した地図「大野城周辺の単弁軒丸瓦の分布」があり、7世紀前半頃と思われる百済系単弁軒丸瓦が観世音寺寺域から出土していることを知りました。観世音寺創建瓦は老司Ⅰ式(7世紀後半)とわたしは理解していますので、それよりも古い百済系単弁軒丸瓦の出土には驚きました。そこで同論文を読んでみると、この百済系単弁軒丸瓦は観世音寺創建瓦ではなく、それ以前に当地にあった寺院のものと推定されていました。
 創建観世音寺の金堂跡から出土した基壇は瓦積みであり、その瓦は老司Ⅰ式と同時期と編年されており、一元史観の通説では8世紀前半と編年されています。老司Ⅰ式瓦が7世紀後半頃であれば、金堂の基壇に用いられた瓦も7世紀後半頃となり、創建観世音寺の建立を7世紀後半の白鳳十年(670)とする文献史料(『勝山記』他)の記述と整合します。したがって観世音寺寺域から出土した百済系単弁軒丸瓦が創建観世音寺以前に当地にあった寺院のものとする判断は穏当です。(つづく)

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